七つの習慣ではないもの

七つの習慣は以下。
※括弧内は完訳版。

  • 第一の習慣:主体性を発揮する(主体性である)
  • 第二の習慣:目的を持って始める(終わりを思い描くことから始める)
  • 第三の習慣:重要事項を優先する(最優先事項を優先する)
  • 第四の習慣:Win-Winを考える
  • 第五の習慣:理解してから理解される(まず理解に徹し、そして理解される)
  • 第六の習慣:相乗効果を発揮する(シナジーを創り出す)
  • 第七の習慣:刃を研ぐ
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七つの習慣ではないもの

  • 第一の習慣ではないもの:流されて主体性を持つ
  • 第二の習慣ではないもの:完璧な計画を持って始める
  • 第三の習慣ではないもの:刹那的に重要だと思えることを優先する
  • 第四の習慣ではないもの:必ずWin-WInにする
  • 第五の習慣ではないもの:理解してもらうために理解しているフリをする
  • 第六の習慣ではないもの:相手の旨味を利用する
  • 第七の習慣ではないもの:剣以外もたくさん装備する

蛇足の解説

主体性を持つとは、自らがその行為を積極的・率先的に引き受けるということです。何か問題が起きたときに、「では、自分にできることは何か?」をまっさきに頭を働かせることです。自分の人生、ひいてはこの世界の在り様を、自分で引き受けるということです。自分ができることとできないことを考え、できることに注力していくことです。

決して、「主体性を持てば人生が良くなりますよ」と言われて「じゃあ、持とうかな〜」となんとなく決めることではありません。


目的を持つことと、完璧な計画を持つことは同じではありません。「こういう風になりたい」「こういうところにたどり着きたい」と願っても、その手段はいくらでも考えられます。想定外のアクシデントも起こります。計画は、いくらでも変更可能です。重要なのは、いかなる状態にたどり着きたいのか、という目的です。いや、これはもう思想と呼んでも良いでしょう。

というのも、「こういう風になりたい」と思う気持ち自体は刹那的に変わってしまうからです。影響力の強い情報に触れれば、すぐさま揺れ動いてしまいます。これでは思想とは呼べないでしょう。しかし、比較的長期間において、自分の心に鎮座するものがあります。風がふき、嵐がやってきても、その後にポツンと残っているものがあります。

きっとそれは、漠然としていて簡単には言葉にできないものでしょう。ただ、その方向に沿っていけば、納得感が芽生えてくるような、そんな方向があります。そういうレベルのものは、思想あるいは根源的な価値感と呼んでもよいでしょう。一人の人間にとっての、最優先事項とは、すなわちそういうものです。


人間は、社会の中に位置しています。個々の人間はプライベートを持ちますが、その活動は基本的にパブリックの中で行われます。パブリックが無くなってしまえば、人は人として生きてはいけません。誰も他者が存在しない世界には、もちろん社会というものはないわけです。

だから、他人を尊重しなければいけません。でも、自分をないがしろにしてもいけません。難しいですが、両方を保つことが大事です。

が、どうしたって相容れないものがあります。相性が致命的に悪いものがあります。価値感がずれているものがあります。それはどうあがいてもWin-Winには至れないでしょう。それをWin-Winにしようと思えば、相手のWinの思想をゆがめるしかありません。おぞましい思想侵犯です。

なんでもかんでもWin-Winに持っていくことではなく、一番最初に「Win-WInになるためには、どうしたらいいのか?」という問いを立てること。それが肝要です。その問いは、自分が思いもしていなかった結論に至るための発想の刺激材料にもなりますし、相手にとってのWinとはなんだろうかを考える想像力をも育んでくれます。

そうした想像力が無ければ、相手のことを理解しているフリだけが横行するでしょう。囓っただけのコーチングと同じです。相手の話をウンウンと頷きながら聞く。でも、最終的には自分が持っている結論の方に誘導しようとする。非常な欺瞞です。ときには、自分の考えが根本的に崩されるかもしれない、くらいに心の扉を開けて相手の話を聞くこと。それが「理解する」ということです。話を遮らない、頷いて肯定することが「理解する」ではありません。

結局のところ、そういうことをする人たちは、「コラボレーション」の意味が分かっていません。

コラボレーションの神髄とは、「こんなことができるなんて思いもしなかった」「こんな引き出しがあったなんて自分でも気がついていなかった」という現象が起こることです。自分のやりたいことに、相手をうまく利用するのとは違います。それは結局、単純な足し算にしかなりません。むしろ、割引率が発生しているかもしれません。なぜなら、相手が引き出すはずだった引き出しを、「相手はこう振る舞うべき」という思想で抑制しているのですから。


すべてのものごとは変化します。

鉄はさび、時代は前に進み、エントロピーは増大します。同じままではいられません。

だからこそ、刃を研ぐのです。在るべき状態で在り続けるために変化は欠かせないのです。

でもそれは、ガラクタを武器庫に一杯蓄えるのとは違います。折れた刀で木を切ることはできません。さびた斧で薪を割るのも難しいでしょう。

折れるたびに新しい剣を買えばいい?

そうかもしれません。でも、きっと手に馴染むようなことはないでしょう。

これは効率性の問題ではないのです。「手に馴染む」というのは、「自分」が少し拡大するということです。

それが生きる、ということです。