0-知的生産の技術

心の中の機微と読書

「本を読んだら、頭が良くなる」とか「本を読まないやつはばかだ」みたいな言説は、穏便に言って乱暴なものでしかありません。

たしかに読書はいいものです。他の人が蓄えた知識や得てきた経験をぎゅっと凝縮した形で受け取ることができます。あるいは、意識を空想の世界に飛ばして、現実では決して経験できないような体験に心を触れさせることもできます。

本を読むことが、人生に効用をもたらすことにはもちろん合意するわけですが、それでも「本を読んだら、頭が良くなる」とか「本を読まないやつはばかだ」なんてことには頷けません。

まず第一に、「どんな本を読むのか」という問題があります。
第二に、「どのように本を読むのか」という問題もあります。
さらに、本以外からだって知識や経験を得る手段はあります。

たったこれだけのことに目配せするだけでも、「本を読んだら、すなわち頭が良くなる」なんて言うことはできなくなりますし、「本を読まないやつはばかだ」と言うのも難しくなるでしょう。

さて、以下のエントリーを読みました。一年間で100冊読む、というチャレンジをしたAliza Weinbergerさんのエピソードが紹介されています。

[L] 100冊の本を読んでみよう | Lifehacking.jp

Alizaさんの読書をみていると、楽しみのための軽いタッチのロマンス小説から、多少の挑戦が必要な真面目な小説まで、読書の幅が大きく撮ってあるのがわかります。

記事では「楽しみと、挑戦」という二つの軸でこれらを捉えていますが、大きく括れば「Alizaさんが、読んでみたいと思う本」を読んでいるということになるでしょう。読書にとって一番大切なことです。

人の動機が単一でないように、人の興味・関心も単一ではありません。幅があります。グランデーションがあります。ロマンスに浸りたい気持ちも、背伸びして科学の知識に触れたい気持ちも、両方が存在しうるのです。そのそれぞれを大切にして、本を読んでいくこと。自分の知的好奇心の幅を狭めないこと。それが、読書生活を豊かにしていくコツでありますし、おそらく読書からの「学び」(一番広い意味で捉えてください)を最大化するポイントでもあるのでしょう。

その心持ちを大切にしていれば、新しい本を読みながらも、自分の古典を何度も読み返すといったバランスの取れた読書生活を送ることができます。だって、それらは共に「自分が読みたいと思う本」なのですから。

問題があるとすれば、数値目標にこだわりすぎたり、世間の流行に敏感になりすぎたりして、「自分が読みたいと思う本」が歪んでしまうことです。言い換えれば、知的好奇心の幅を極端な方へ振ってしまうことです。

どんな本を、どんな風に読むのかなんて自由です。でも、自分の心にある機微をモノトーンで塗りつぶさない方がよいでしょう。そういうことを繰り返してしまうと、最終的には何も無くなってしまいます。本当に、何も。

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