生活の中にある発想術

少し前の記事ですが、こういうものがありました。

iki0204|イベント『 #らしたさんを囲む会 』の告知(宣伝・営業)を、やってみた……、が。(いっきの質問リスト付き) | イキブロ

発想法や思考術は、『知的ブルーカラー』のような人の仕事には、どのように役立てたらいいでしょうか?

私に向けての質問ですが、こう続きます。

私は、アイデアって意外と日常生活で必要としていないのです。

特に仕事上だと、アイデアやクリエイティビティーはほとんど期待されないポジションです。
どちらかと言うと「判断が原則に則っているか」「一貫しているか(ブレていないか)」ということの方が大事になっている。

そういう(仕事)生活における「発想術」「思考の展開法」というのは、どんな派生や意味を持つだろうか?

まず私がぱっと思い浮かんだのは、この記事で告知されているイベントについてです。このイベントを企画するということ、あるいはそれを告知すること。そのようなアクションの中で「アイデア」は必要とされなかったでしょうか。

私はたぶん必要だったと思います。

でも、これは「仕事」ではありません。

でも、だからこそ、という気もします。どういうことでしょうか。

私の中では、アイデアを必要としない仕事などない、という感覚がありますが、100歩譲って仕事の9割ではアイデアを必要としないとしましょう。となると、仕事ではほとんど発想術は役に立たないことになります。でも、人生の舞台は仕事だけではありません。

この点が重要です。

私はこれからの社会を個人が多層的に生きる社会だと見ています。そこでは、≪知的ブルーカラー≫は属性の一つにすぎません。この記事で紹介されたイベントのように、仕事の以外のクラスタに所属するようなことが増え、そこで個人の力が発揮される場面も増えてくるはずです。

仮に、仕事の内容が10割アイデアを必要とするものだとしましょう。そういう人は、自ずと発想術や思考の展開法を学んでいくはずです。だから、仕事以外の分野でも、そこで開発した力を存分に使えます。

ではもし、仕事の内容がほとんどアイデアを必要としないものだったら。そういう人は、どうやって発想術や思考の展開法を学んでいくのでしょうか。私が上で、「だからこそ」と書いたのは、こういう意味です。

個人が多層的に生き、さらに自ら旗を振れるような社会では、「判断が原則に則っているか」「一貫しているか(ブレていないか)」をキープしているだけでは話は済みません。自分が先頭を歩く必要があるのです。そういうときに、「考える技術」を持っているのと持っていないのとでは大きな違いが生じるでしょう。

逆説的なようですが、仕事で「アイデアやクリエイティビティーはほとんど期待されないポジション」である人が多ければ多いほど、これからの社会ではそうした力を自ら積極的に開発していく__これを自己啓発と呼んだりしますね__必要があるのではないか。なんてことを考えているわけです。

これで答えになっているでしょうか。