以下の記事を読みました。
[L] 「Mediumだけはだめだ」あるいはパーマリンクに未来があるかという話 | Lifehacking.jp
つまり、ユーザーにとっては便利でも、Medium の記事は長期で保存され、ログとして何年にもわたって価値を提供することを念頭に作られているわけではないのではないか? という指摘です。
いろいろなことを考えましたが、まっさきに思い浮かんだのはnote.muです。
- noteは、公式のRSS出力がありません
- noteは、ソースを見ても本文が入っていません
- noteは、「自分の投稿をダウンロードする」機能がありません
もちろんnote.muは、投稿プラットフォームとしてさまざまな利点を持っています。特にプラットフォームそのものの力、という点は大きいでしょう。
たとえば、今日はじめて一つの投稿をした人がいたとしましょう。もしそれが今日作られたブログ(記事数1)ならば、誰かに読まれる可能性は蟻のつま先ほどしかありません。しかし、noteというプラットフォームであれば少しは可能性が出てきます。また、Googleの検索アルゴリズムにおいても、大きいプラットフォームの方がそれなりに有利になるでしょう。
ようするに、ある程度整えられた舞台がそこにあるわけです。
で、もちろんあらゆるメリットがそうであるように、そこには何かしらの代価も存在します。
別にMediumやnote.muを批判しているわけではありません。メディアの特性を踏まえた上で、それをどう利用するのかは、しっかりと自分の頭で考えて、自分の責任で判断した方がいい、ということです。
もちろん、これは他のあらゆるメディアにも及ぶ話です。
コンテンツの保存性で言うと、私はnoteの有料マガジンをメールで受け取っているので、明日noteが消失してもメールのアーカイブからそれらのコンテンツにアクセスすることはできます。
ただし、それを参照元としてURLを示すことはできません。それが、どのような意味を持っているのかも、やっぱり自分で考える必要はあるでしょう。
コンテンツの提供者としても、私はnoteを使っています。第一に、R-styleとは違う文脈を展開するメディアとして。第二に、可燃性の高いコンテンツを投下する場として。どちらもきちんと意味があります。意図があります。
言い換えれば、「わざわざR-style以外の場で書いている」理由があります。
Facebookはまるっきりフローな構造になっていますし、Twitterにも似たところはあります。過去のコンテンツが検索しにくい(検索されにくい)構造です。
1分間の尺で切断すれば、10年選手も新人一年生でも、その構造の中ではたいした違いがありません。検索しにくいとはそういう状態のことです。
一面から見れば、それはすばらしい公平性なのでしょう。でも、本当にそれだけで良いのだろうか、という疑念は持っておきたいところです。
コンテンツを投稿する意味や動機は人によりさまざまでしょう。それによって適切な投下場所は変わってきます。でもって意味や動機を知っているのは自分だけなのですから、その判断は自分で行わなければいけません。
が、残念ながら、そうした判断をするためには、ある程度技術的な知識(といっても基礎的な知識)が必要なのが現代です。さすがにURLって何? というレベルでは、パーマリンクが持つ意味を考えていくことはできません。
この辺に、現代のメディアの難しさが潜んでいます。コンテンツだけに注目していては足りないのです。
でも、20年後ぐらいには、パーマリンクは消え去り、インスタントリンクばかりの世界が広がっているのかもしれません。
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そういう世界におけるメディアについて妄想してみるのも面白そうではあります。ちょっと寒気もしますが。
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