知的生産にはフローがあります。
- 何かを読んだりする・何かを思いついたりする
- それについて考え、発展させる
- 発展させたものをまとめる
- 人にわかる形で提出する
知的生産を行う主体の中に、こういう流れがあって、初めて知的生産は知的生産たりうるのです。
2016年1月29日に発売された以下の本では、そのことがWorkFlowyというクラウド・アウトライナーに絡めて書かれています。
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ブログ「単純作業に心を込めて」の彩郎さん(@irodrawさん)によって書かれたこの本では、「すべてを一つのアウトラインに入れる」という特殊なWorkFlowyの思想性を踏まえながら、それを個人の知的生産にどのように活かしていくのかがまとめられています。
ようするに「知的生産の技術」と言ってよいでしょう。
いくつか考えたことがあります。今回は、それについて書いてみます。
H to H
視点を変えてみましょう。
知的生産のフローの冒頭には、インプットがあります。本を読む、とかそういったことですね。そのインプットは問題提起の触媒として、あるいは文章の素材として、後々の知的生産に活かされることになります。
では、その読んだ本は、どのように発生したのでしょうか。ジャングルの奥地に一輪だけ咲く赤い花から、一年に一度だけ吐き出される__なんてことはありませんよね。その本は誰かが書いたのです。誰かの知的生産の成果です。
知的生産にはフローがあります。
本から本、つまり人から人に流れるフローがあるのです。
value in flow
ありがたいことに、『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』では、拙著に何度か言及してもらっています。「私の知的生産」が「誰かの知的生産」の役に立ったというわけです。
ここには一つの流れがあります。
ここには一つのパスがあります。
ここには一つのギフトがあります。
なんのことはありません。それらは流れることにこそ価値があるのです。留まることではなく、渡されることに価値があるのです。
現代の知的生産
「知的生産」に関する知的生産の成果物(ややこしいですね)の源流は、やはり梅棹先生だったのでしょう。もちろん、梅棹先生だっていろいろな刺激を経て、その本を世に出したわけですが、インパクトの大きさを考えれば源流と呼んでも差し支えないでしょう。
知的生産にはフローがあります。
「知的生産の技術」は、現代にまで少しずつ流れてきました。その流れは、川が集まり少しずつ太くなっていったというよりは、むしろ数え切れないくらいの小さな川に分流していった、と表現した方がよいでしょう。研究者から知的労働者へ、そして情報化社会の市民へと、少しずつ受け継がれながらも広がっていったのです。
それは、『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』や『アウトライン・プロセッシング入門』などの「知的生産の技術」について書かれた本が、ブロガーという一市民によって著されていることからもうかがえます。これら二冊の本の存在が、現代の「知的生産の技術」の状況を端的に表しているのではないか。私はそんな風に感じます。
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現代でも、知的生産はもちろん生きています。息づいています。
フローは続いているのです。
さいごに
蛇足になりますが、彩郎さんはたぶんR-styleの読者さんですし、WRMというメルマガの読者さんでもあります。だから、「このメルマガ(ブログ)を読んでいれば本が書けますよ」なんてキャッチコピーを使いたくなるのですが、もちろん本の出版は私とまったく関係ありません。
そのことは、本当に良かったと思います。
私のネームバリュー(そんなものがあれば、ですが)でなんちゃらする、というのは結局のところ、全然フローではないからです。それは続いているように見えて、先細りが確定した連鎖の鎖でしかありません。ネズミ講とかと同じですね。
勝手に活躍されて、勝手に本を出される。その本を読んだ人たちがまた勝手に活躍されて、勝手に本を出される。『知的生産の技術』が出版された1969年から連綿と続いてきたことです。いや、それは「本」という文化そのものなのかもしれません。
知的生産にはフローがあります。
私たちは、その流れの一部なのです。
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