0-知的生産の技術

興味関心の8:2

いつものように書店をぶらっと歩いていたら、『カール・クラウス 闇にひとつ炬火あり』という本が目に入った。講談社学術文庫から2015年11月に発売された本だ。この原稿を書いているのが2016年の2月なので、3ヶ月前の本ということになる。現代の情報流通の速度から言えば、少し古い本になってしまうだろう。

カール・クラウス 闇にひとつ炬火あり (講談社学術文庫)
池内 紀
講談社
売り上げランキング: 25,153

たしかそこは書評掲載本のコーナーで、どこかの新聞の記事と共に『カール・クラウス』が堂々と面陳されていた。私はこの「カール・クラウス」という人物については全然知らなかったのだが、なぜだか心が惹かれてしまった。読書好きの人ならばおなじみであろう、あの感覚__本に呼ばれているような感覚__が湧いてきたのだ。

Amazonから内容紹介を引いておく。

モラヴィア出身のユダヤ人として生まれたクラウスは、1899年にウィーンで評論誌『炬火(Die Fackel)』を創刊する。ヨーロッパがやがて世界大戦に向かう激動の時期を迎える中、クラウスは編集者としての役割を越え、1911年末以降は『炬火』をたった一人で編集・執筆する個人誌に変貌させていった。そうして権力や社会や文化の堕落・腐敗に鋭い批判を突きつけていった『炬火』は常に毀誉褒貶の対象であり続けることになる。

この評論誌『炬火(Die Fackel)』__かっこいいタイトルだ___は、編集長であるカール・クラウスが自分で原稿を手がけ、広告も入れずに淡々と発行されていたらしい。つまり、しっかりとした購読者がいたわけだ。

ちょうどそのときの私は、コンテンツの有料と無料について考えている傍ら、「自分が雑誌を編集するとしたら、そこにはどのようなコンセプトを入れるだろうか」といったことも考えていた。運命の出会いとまでは言わないが、合コンに行ったら黒髪のメガネ美人がいたくらには幸運な出会いである(ただし私は合コンなるものに行ったことはない)。

こういう出会いがあることが、書店の魅力だろう。最大の魅力とすら言ってもいいかもしれない。

確認しておきたいのは、私は「カール・クラウス」なる人物を知ってもいなかったし、知りたいとも思っていなかった。それにインディペンデントな評論誌の在り方についての情報を探しているわけでもなかった。そんなものが、私の思索に役立つなんてことは思いもしなかったのだ。

私の過去の読書履歴をどれだけ分析しても、お勧めとして『カール・クラウス 闇にひとつ炬火あり』が出てくることはないだろうし、因果関係をはぎ取ったビッグデータの相関関係でも無理だろう。

重要かつやっかいな問題は、私の興味・関心というものが動的に変化していくということである。

一冊の本を読み終える。それが十分に深い読書ならば、読書のビフォーアフターで、「私」というものは変化している。そして、その変化がどのようなものであるのかは、誰にも予測しえない。一冊本を読み終えるごとに、そして書籍以外の情報に触れるたびに、「私」は変化していく。その変化は気分的には線形に感じられるが、実はそうではない。

もちろん、例外はいくらでもある。というか例外の方が多いくらいだ。

私が村上春樹氏の小説を5冊読んだとする。さらに村上作品やエッセイを薦めるのは有効だし、彼が好んで読んできた(あるいは言及してきた)小説や映画や音楽を紹介するのも有効だろう。そうやって広がっていく興味というのもたしかにある。

しかし、それだけではないのだ。この「それだけではない」をどの程度、つまりどのぐらいの割合でキープしているのかが、知的好奇心、もっと言えば知的健全度の鍵を握るのではないだろうか。

個人的にその割合は8:2ぐらいが適切だと感じている。「それ」が8で、「それだけではない」が2だ。

高度に個人の好みに最適化された情報流入において、「それだけではない」はノイズになる。たとえば、『カール・クラウス 闇にひとつ炬火あり』は私が一ヶ月前に出会っていたら、たぶん見向きもしなかっただろう。つまり、邪魔な情報というわけだ。しかし、それが入ってくる可能性を受け入れない限り、新しい変化というのは起きようもない。静止してしまう。

これは別に書店を礼讃しているわけでもないし、書評掲載本のコーナーって良いよねという話でもない(ただし私はそういう書店を好むが)。

一つには私たちが情報を受け取るときのスタンスの話であり、もう一つはそれを反映した情報摂取環境を構築しているのか、という話である。後者はフィルターバブルやエコーチャンバーの問題として表出してくるわけだが、そもそもとして「そういう環境を望んでいるのかどうか」という点が大きな問題として関わってくる。

「それ」に浸っているのは楽しいし、満足も感じる。でも、「それだけではない」が一つも混ざらないのならば、何かが徐々に消失していくかもしれない。使われない細胞が壊死していくように。

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