0-知的生産の技術

ツールのアフォーダンスと心のモード

先日紹介した『考えながら書く人のためのScrivener入門』に、「大学生・小野みきさんに聞く、Scrivenerの使い方」というユーザインタビューが掲載されていて、これがなかなか面白かった。体験的というか実感のこもった話がいくつも出てくる。

 それくらいの長さになってくるとちゃんと考えてからでないと書けなくなってきます。その頃、先輩や教授に、付箋紙や情報カードで構成を組み立てる方法を教わりました。面白くてしばらくそれでやっていたんですが、あれは場所を取るし、ノリは落ちてくるし、書き終わるまで片付けられないし、誰でもできるものではない気がします。

ここでの「それくらいの長さ」とは、大学の講義の課題で原稿用紙10〜20枚程度の分量を指している。たしかにそれぐらいの分量となると、頭だけではまとまった文章は書けないだろう。ツールの補助が必要となる。

しかし、付箋紙や情報カードも弱点を抱えている。まさに小野さんが指摘するような弱点だ。この適切な弱点の指摘から、単に情報を得ただけでなく、実際に彼女がそれらのツールを試してみたことが伺える。彼女はこう続ける。

 それに、そうやって構成を考えてから書き始めても、いざ書き出してみるとどんどん変わってしまいます。結論は変えなくても、やっぱりこれは後に回そうとか、細かいところですね。ところがワープロソフトってそういう、考えて書くような使い方をするとすごく使いづらいことに気がつきました。Wordならアウトライン機能がありますが、Pagesはそれもないですし。

すごく本質的な指摘である。(アウトライン機能を持たない)ワープロソフトは考えて書くような使い方にはあまり向いていない。もう少し言い換えれば、考えながら書くような使い方を補助するようなツールではない。その通りではあるが、もう少し詳しく見ていこう。


ワープロ、あるいはワープロソフトは、文章の書き方に劇的な変化を与えた。『ワープロ作文作法』でも『「超」整理法』でも触れられているが、「とりあえず書いて、後から直す」ことが非常に簡単になった。となると、原稿用紙に向き合う姿勢と、ワープロに向き合う姿勢は自ずと変化してくる。なにせ、メディアはマッサージである。

ワープロは、原稿用紙に比べて気楽に書き始められる。すべての文章を書き出してから、構成を整えることだってできる。原稿用紙で同じ作業をしようとすると、たとえそれが10枚〜20枚程度であっても、非常な苦労を強いられる。だから、そう、ワープロは「考えながら書く」ことを許容した。あるいはその枠組みを広げてくれたと言えるだろう。

それを可能にしたのは「編集機能」である。つまり、削除・コピー・ペーストといった機能だ。もちろん書き足しもそこ加えられる。

これらの機能によって実現されるのは、たとえば「配置を後から変える」といったことだ。どこかの段落をコピーして、別の場所にペーストする。その他の要素を動かす必要はない。簡単だ。原稿用紙ではこうはいかない。

Scrivenerの分割されたテキストやアウトライナーが実現している項目の移動は、原理的にはこのコピー&ペーストと同じである。「ある段落を選択する→コピーを選択する→別の場所に移動する→ペーストを選択する」という一連の行動を、「項目をある地点から別の地点にドラッグする」という行動に集約的に(代表的に)置き換えているに過ぎない。でも、それが大切なのだ。

なぜなら、原稿用紙だって「編集」はできるからだ。ただしそれが非常に面倒な作業だからほとんどの人はそれをやりたいとは思わない。結果、強い熱意を持つ人だけがチャレンジする行為となる。でも、ワープロに移行すればそれほどの熱量は必要とされない。それがアウトライナーだったら? もっと熱量は低くて済む。

もともとワープロでも、各文章・各段落は「操作可能な対象」である。operableなobjectなのだ。しかし、そこには複数のステップが必要であり、アフォーダンスは存在しない。「ほらほら、操作できますよ! してみましょうよ!」と私たちに訴えかけることはない。実は、その点が大きいのだと思う。特に、知的操作に関わる作業において、そうした認識の影響は計り知れない。

操作そのものに知的複雑さ(あるいは知的負荷)が必要になると、もともとの知的な作業のパフォーマンスに影響を与えてしまう。これは仮説でしかないが、それほど無理な仮説でもないだろう。逆のことも言える。操作そのものに負荷が少なかったり、あるいは誘導要因があったりするとスムーズに流れていく。

アフォーダンスに手を引かれ、私たちは思考のダンスを踊るわけだ。


それに関連して、もう一つ面白い指摘がある。

 書き方は変わっていないと思うんですが、やりやすくなったと思います。付箋もカードも昔からある方法ですけど、Scrivenerは、そういう方法とMacで書くことを素直にくっつけたように感じます。
 そうなったときに一番大きく変わったのは、Scrivenerのアイコンを見るだけで「あ、書かなきゃ」って気になるようになったことだと思います。Pagesだと日常のささいな用件とか、劇団の事務的な書類も作りますが、Scrivenerではそういうものは作らないですから。教授や団長の顔を見て「あ、書かなきゃ」って思うことに似ているかもしれません。そういう気になるのは、専用アプリのいいところだと思います。毎日すごくよく使っていても、Evernoteのゾウのアイコンを見たときは全然違いますから。

ここではツールが持つコンテキストが指摘されている。あるいは心のモードとツールの関係とも言えるだろう。

私はCotEditorを開くと、「ブログの文章を書かなきゃ」という気分になる。が、これと同じことは別のツールでは起きない。この心理的な差異は非常に面白いのだが、それは私がこれまで長い間CotEditorでブログの文章を書いてきたからだろう。心が馴染んでいるのだ。

逆に私はScrivenerを起動して「あ、書かなきゃ」とは思わない。むしろ「あ、構成しなきゃ」と思う。これは私がScrivenerを主に構成するためのツールとして使っているからだろう。だから、Scrivenerでゼロから文章を書こうとすると非常に苦労する。心のモードがツールに対応していないからだ。

あるいはこういうのは、習慣によって形成された後付けのアフォーダンスと言えるかもしれない。


ツールがある種のアフォーダンスを持ち、それが特定の(知的)行為を促す。結果、そうした行為の回数が増える。そうすることによって、ツールと心のモードがリンクし、後付けのアフォーダンス(と呼びうるような何か)が発生する。

これはセルフコントロールの武器にもなる。なにせ私はCotEditorに切り替えて、command + n を押せば文章を書くモードに心が切り替わるのだ。個人的な体験を振り返って言えば、ネクタイを締めたり制服を着替えたりするようなものに近い。

これはテクニックと言えるだろうか。あるいはノウハウと言えるだろうか。いささか属人的過ぎるし、「時間の経過」や「慣れ」といったものも伴う。扱いは難しいだろう。

では、これはライフハックか。そう、これはライフハックである。

▼こんな一冊も:

考えながら書く人のためのScrivener入門 小説・論文・レポート、長文を書きたい人へ
向井 領治
ビー・エヌ・エヌ新社 (2016-03-18)
売り上げランキング: 1,023
ワープロ作文技術 (岩波新書)
木村 泉
岩波書店
売り上げランキング: 806,030
「超」文章法 (中公新書)
野口 悠紀雄
中央公論新社
売り上げランキング: 5,377

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です