創作文

生きる勇気

青年 僕は気がついたんですよ。人生には生きる意味なんてないんだ、ってことに。

徹人 ほう。なかなか興味深い意見だね。

青年 だってそうでしょ。この世界には絶対的なものなんて何も無い。神は科学によってその地位を引きずり下ろされた。意識は傍観者でしかなく、いずれは人間と同等の、いやそれ以上の機能を持つAIやそれを搭載したロボットも生まれるでしょう。人間中心主義なんて欺瞞ですよ。

徹人 すべては相対的である。そう言いたいわけだね。

青年 そうですとも。特別な意味なんてどこにもない。いわば、すべてが「どうでもいいこと」なんですよ。もちろん、この僕の人生だってね。どうですか、何か反論はありますか。

徹人 もちろんあるさ。それも、大いにね。でも、君の言っていることは特に間違っているわけでもない。

青年 そうでしょ、そうでしょ。でも、その言い方は何か引っかかりますね。

徹人 たしかにある視点では、価値なんてどこにもない。そうだな、たとえばこの宇宙を思い浮かべてみよう。広大なこの宇宙をね。その中では君の存在なんて塵芥ほどの価値すらない。「点」ですらないんだ。それほどこの宇宙は大きく、虚無で満ちている。

青年 だから、僕の存在は……

徹人 翻って視点を移してみよう。宇宙を眺める神の視点からぐんぐん縮尺を小さくしていく。銀河系になり太陽系になり地球になり日本になり、そしてどんどん小さくなって、最後には「君」に辿り着く。

青年 それがどうしたと言うんですか。

徹人 それがどうした? いやいや、それがすべてなんだよ。

青年 まったくわかりませんよ。何ですか、そんなにニヤニヤ笑って。

徹人 どうだろうか。私が思うに、今君はこの議論に白熱しているように感じるのだが。

青年 それは……、まあ、そうですね。あなたとの議論にはなかなか楽しいものがありますよ。

徹人 わかるかね、その感覚はそれ以上でもそれ以下でもない。言い換えれば目一杯の価値だ。

青年 目一杯の価値?

徹人 たしかにそうした感情の高ぶりなど宇宙全体に比べれば塵芥以下だろうし、またほんの一瞬で消えてしまう。でも、そもそもその比較がおかしいんだよ。私たちは、ただ私たちだ。神の目を持つ存在ではない。ありもしない対象と比較してしまえば、価値が消失するのは当然だろう。ゼロで除算しているようなものだ。

青年 でもその視点を持てるがゆえに、私たちの文明は進歩してきたのではないですか。それを否定するんですか。

徹人 君の言うことは正しいよ。つまり、それが禁断の果実だったわけさ。私たちは日常的に言葉を使うね。今この対話も言葉を使って行われる。そして、言葉とは意味を内包するものだ。あるいは意味を表現するのが言葉と言い換えてもいい。すると、不思議なことが起こる。そうあのマクルーハンが言ったことだ。私たちは言葉を日常的に扱うがゆえに、あらゆる概念には意味が付随すると信じてしまう。そう、たとえば、人生や人間といったものにもね。でも、それは幻想だ。「言葉」の存在に引っ張られた誤解にすぎない。

青年 では、あなたも人生に生きる意味がないことをお認めになるわけだ。

徹人 そんなことは言っていないさ。私はただこう言っただけだ。人生には「意味」がない、と。

青年 言葉遊びで誤魔化さないでくださいよ。ほとんど同じじゃありませんか。

徹人 私たちは今言葉を対象に議論しているんだ。少しの違いは大きな違いとなる。そうだろう。30cmの物差しで何かを測ろうとしているとき、その物差しが実際より1cm短かったらどうなるかね。それと同じさ。少しの言葉の違いには大いに注目しなければ。

青年 だったらどう違うと言うんですか。そこがはっきりしないことには僕は納得できません。

徹人 まあまあそんなに焦らなくてもいい。ゆっくりいこうじゃないか。どうだい、もう一杯コーヒーでも。

青年 お申し出はありがたいですが、僕はまずこの議論に決着をつけてから一息つきたいところですね。

徹人 そうかい。じゃあ、進めるとしよう。ようはこういうことさ。「人生に意味がない」と「人生に生きる意味がない」はまったく違う。人生は、それぞれの人の中で発生し、そして終わる。その一連の体験は個人の中で閉じている。言い換えれば、そこではそれが世界そのものであり、宇宙のすべてと等価なんだ。だから「意味」なんてものは必要としない。その人が感じるか、感じないかだけであって、言葉として定義できるものではない。だから、「意味」がないと言ったんだよ。でも、それはそのまま生きる意味がないことにはならない。

青年 ではあなたは「人生に生きる意味」があることを証明できると言うんですか。

徹人 それは難しい課題だね。幾人もの哲学者がチャレンジしてきたが、今のところ優位に立っているのは文学者だろう。

青年 どういうことですか。

徹人 言葉を持ってしまった私たちは、人生にそれらしい意味を求めるようになってしまった。確固たる定義をね。だから、どれだけ満ち足りた人生を送っているように見えても、虚無の落とし穴はどこにでも眠っている。わかるかい。どのような人物であっても、その問いにぶつかれば、泥沼にはまるしかないんだ。そして、そういうことは日常的に起こりうる。だからこそ、私たちの文化は絶対者を見出してきた。少なくとも、その存在は虚無に吸い込まれるのを防いでくれるからね。

青年 でも、現代ではなかなか難しいんじゃないですか。だとしたら僕たちはどうすればいいんですか。

徹人 どうしようもないさ。なにせそれが生きるということだからね。情熱と虚無の間で揺れ動くのが、私たちのしがない意識の宿命なのさ。ただそれを受け入れるしかない。もしそれが嫌なら、そうだね、脳に小さな鉄の棒を突っ込んでぐりぐりやればいいだろう。ユートピアはそんなところにしかないんだ。

青年 意識を捨てろとおっしゃる?

徹人 そうじゃない。感情を捨てればいいのさ。そして理性もね。両方がなくなれば、この世は平穏に満ちているよ。強い光もなければ、暗い影もない。そんなフラットな世界が広がっているよ。でも、それはもはや別の体験だ。「生きる」という行為を質的に変化させてしまっている。だから、そう、うまく付き合っていくしかない。そのときには、一つだけ武器が使える。

青年 ぜひ教えてください。

徹人 視点を動かすことさ。比較をコントロールすると言い換えてもいいだろう。宇宙に思いを馳せるとき人間の価値なんてゼロみたいに思える。でもだからこそ人は死んでも行ける。だからこれは悪いことばかりではないんだ。でも、それが生きる意欲を削いでいるのなら、縮尺を小さくして今の自分のサイズに戻ることだ。それができれば、人生は再び自分の手に返ってくる。

青年 等身大で生きる、ということですね。

徹人 でもそればかりでもいけない。それが行きすぎれば、今度は刹那主義に陥るからね。宵越しの金はなんとやら、というやつだ。私たちは計画を持つことができる動物だ。ややもすればそれが「宇宙の視点」に結び付いてしまうわけだが、別にそれは悪いことではない。どちらの視点も行きすぎるとよくないことが起きる。だからこそ、視点を動かすことを身につけるんだ。

青年 では、どうしたら視点を動かせるようになるんですか。

徹人 対話さ。対話を繰り返すことだよ。

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