3-叛逆の仕事術

「今」を選択する

たとえば、1つのタスクを想像してみる。

何でもいいのだけれども、私の場合なら「シゴタノ!の更新」がふと思い浮かんだ。毎週金曜日が締切のタスクだ。週一回、必ずこなすタスク。週一回は必ずやらなければいけないタスク。毎週一度はタスクリストに乗っかるタスク。

そこで考える。空いてる時間に来週分の原稿を書いておけば、時間は効率的に使えるのではないか。悪くはない考えに思える。うまくいけば、次の週はシゴタノ!の原稿を書かなくてもいいし、その分別の作業にまとめて時間を割り当てられるかもしれない。

そんな風に思考をシフトすると、「来週のシゴタノ!の原稿を書く」は、≪やるべきこと≫あるいは≪やっておいた方がよいこと≫へと変質する。危うい一歩だ。

無限増殖

私のイメージには、二つのタスクが並んでいる。「今週のシゴタノ!の更新」と「来週のシゴタノ!の原稿を書く」だ。前者はすでにタスクリストに在中していることだろう。で、それを華麗にこなしたとする。すると、透明度が0から100へとスライドするようにタスクが浮かんでくる。「来週のシゴタノ!の更新」のタスクだ。

一度、その複製が発生したのなら、後の想像は難くない。ゾンビが1体画面に登場した? あと100体はいるね。

「来週のシゴタノ!の原稿を書く」を見事にこなしたとしよう。するとタスクリストには「再来週のシゴタノ!の原稿を書く」が浮かんでくる。思考の原理は同じだ。空いてる時間にやっておけば、未来の自分がちょっと楽になる。こうしてタスクリストは輪廻の中に閉じ込められてしまう。

もちろん、どこかの時点ではできないタイミングがやってくる。つまり、タスクは消化されずに残るわけだ。言い換えれば、そのタスクリストには終わりがない。永遠に消化不良のタスクリスト。

オープン・タスクリストとは、ようするにこういうやつなのだ。未来に現在が喰われてしまう。

そこにある時間の限界

現実を考えてみよう。

シゴタノ!の原稿を書くのに1時間かかるとする。不眠不休で書いたとしても、一週間に書ける原稿は、168本だ。つまり、一週間のタスクリストに168週後以降の「シゴタノ!の原稿を書く」を置いていても、実行に移されることはない。

いやいや、そんなことはありませんよ。原稿を50分で書けるようになればもっといけますよ、と効率厨の人は言うかもしれないが、それだって多少本数が増えるだけだ。そしてその時間は絶対に0にはできない。だから、どこかに限界がある。一週間のタスクリストに詰め込める限界が。

もちろん現実的には睡眠時間が必要だし、他の作業に割り当てる時間もある。だから、一週間に一本書くぐらいがせいぜいなのだ。多少無理すれば次の週分ぐらいはかけるかもしれないが、そうすれば別の作業での無理ができなくなる。時間が限られている以上、常にトレードオフな選択がそこには潜んでいるわけだ。

タスクの属性でみれば、それぞれの更新はたしかに≪やっておいた方がよいこと≫と言えるだろう。しかし、≪やっておいた方がよいこと≫は≪実行可能なこと≫とイコールではない。

理想主義にどっぷりはまり込んでいる人はこれを同一視しがちで、結果現実を見逃してしまうわけだが、見るべきは現実の方である。でないと、思考を持っていかれる。永久なるタスクリストは、確実に私たちからやる気を奪い取っていくのだ。

どのような時間であっても

今、一週間というスパンで考えた。でもこれは一日でも同じである。24時間という持ち時間で実行できることは、24時間の作業時間に収まることであり、それ以上には決してならない。もちろん、他にもいろいろ必要な行動はあるわけで、実質的な可処分時間は限られてしまう。

だから、選択しなければいけない。一日に収まるタスクリストを作るために。

もっと時間に近寄ってみてもいい。半日でできることにも限りがあるし、3時間でできることも限りがある。1時間でも30分でもそうだ。最終的には、「今」にその視点は落ち着く。

「今」できることは、「今」できることだけだ。頭の中には、「あれも、これも」が思い浮かぶだろう。でも、それは私が168週分以上の「シゴタノ!を更新すること」を頭に思い浮かべているのと基本的には同じである。「今」には、「あれも、これも」はできない。少なくとも、その時点ではどちらかの選択が必要なのだ。でないと、結局「あれ」も「これ」もできないことになる。

だから、捨てることが必要だ。

そのための補助としてリストがある。リストに預けることで、今を選択するのだ。

さいごに

間違えてはいけないのは、未来のことを考えすぎると今の行動が取れなくなるからといって、未来についてまったく考えない方が良い、という結論にはならない、ということだ。実際これは相当な飛躍である。「考えすぎること」の克服が「考えないこと」になる道理はない。「考えすぎなければよい」だけの話だ。そうやって思考を捨てさせようとしてくる輩が多いから注意した方がいい。

まさに人間というのは、そうして未来のことをイメージできるからこそ人間なのである。それは人間を人間たらしめる能力の一つだ。ただし、それが行きすぎるとややこしいことになる。だからバランスを取ることが重要なのだ。ようはカウンターを当てて中和すればいい。それだけの話である。

そしてバランスを取るためには、現状を見つめ修正の方向を考えなければいけない。未来を見つめすぎたり、思考を止めたりすれば、それができなくなる。かといって目の前だけでは道行きは定まらない。

未来をイメージし、かつ「今」という現在に意識をフォーカスさせること。そんなハイブリッドがバランスが良いのだろう。

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