わかりたいやじるし

人は、わかりたい生き物です。

わからないという状況は気持ちが悪いものですし、落ち着きません。だからこそ、知ろうとする気持ちが湧いてきます。人類が持つ知的好奇心の源です。

でも、覚えておきたいのは「わかりたい」気持ちというのは、やじるしだ、ということです。ある点から、別の点を目指して伸びているやじるしなのです。

「わかりたい」気持ちが暴走すると、すぐさま「わかりたく」なってきます。やじるしを伸ばさなくなるのです。

それはまったくわかっていないことを、すでにわかっているものとして扱おうとします。
それは人間にはわかりようもないことを、あたかもわかるかのように扱おうとします。

大きな間違いのもとです。

他の人との対話を拒否する人も、この「わかっている」病にかかっています。その人は、相手の発言の真意が自分にはきちんと理解できていると思っています。傲慢な思い込みです。

自分には気がついていないことがあるかもしれない、あるいは相手すら気がついていないことがあるかもしれないことに思いが及んでいません。そんなことはありえないとはっきり「わかっている」からでしょう。

一度「わかって」しまうと、もうやじるしはどこにも伸びていきません。自分という点は、そのままの形で満ち足り、孤立していきます。

やじるしを伸ばすことは、ある種の不安を必ず伴います。それは未知の領域に足を踏み出す恐怖だけでなく、拒絶されるかもしれない憂鬱さも含んでいます。それらをすべて拒否するなら、やじるしを伸ばすことはできません。世界はそれほど優しくはないのです。

でも、誰かから伸びてくるやじるしはあるかもしれません。それを受け入れることは可能でしょう。人はそれくらいには優しい存在です。

なんだかよくわからない記事ですよね。それでいいのです。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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