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最近始めた「Honkure」というブログがあるのですが、これが非常に楽しいです。記事を投稿するのも、全体のデザインや機能について考えるのもワクワクします。

さて、以下の記事を読みました。

ディズニー牧場ゲーム!マジックキャッスルドリームアイランド私なりの楽しみ方 – うさぼうの人生ダッシュボード化計画

シティビルとサンシャイン牧場が合わさったようなゲームです。

牧場で家畜や野菜、果物を育ててワゴンで販売してペコスと呼ばれるコインを稼ぎます。素材を使って食材やアクセサリーを作ったり、アバターを着飾ることができます。

妻がどこかで見つけて始めたのがきっかけですが、現在は子供もiPadでプレイしており、家族の共通の話題になっています。必要なアイテムを受け渡しながら協力し合い、時に競い合っています。

コインを稼ぐには3つの方法があります。ウィッシュボードのお願いごとを実施するか、機関車の積荷を準備するか、ワゴンで売るかです。

なんとなく、このゲームを楽しむ感覚と、「Honkure」のそれは似ているのではないか、と思いました。

ゲームらしさ

ゲームをゲームたらしめているのはなんでしょうか。

まずルールです。何ができて、何ができないかを規定するもの。もしサッカーで自由に手が使えるなら、それはもうサッカーではありません。別のゲームです。ルールがゲームを形作るのです。

そこに目標が加わります。達成されるべき何かです。基本的には「相手に勝利すること」ですが、ソリティアのようにコンプリート的達成が目標の場合もあります。

となると、評価も必要でしょう。ゲームに勝ったなら「買った」というフィードバックが返ってこなければなりません。「勝ったかどうかは、各々が自分の心の中で決めるんだよ」と文学的なことを言われても、ゲームとしての楽しさは増えないでしょう。

これら三つの要素でゲームは形成されています。さらに、「プレイヤーに行動や判断の選択肢」があることも必要ですが、それはルールデザインの下位に属するので、とりあえず省いておきましょう。

足りないもの

何かを始める上で、目標を設定する人は多くいます。あるいは他者からクリアすべき課題を渡される場合もあります。「Honkure」の場合は、「本を探すサイト」あるいは「本と出会うサイト」を目指して構築しています。PVに関しては欲張りなことは言いませんが、R-styleに負けないレベルになれば御の字です。

で、現代では評価はわりと返ってきます。ソーシャルに情報を流せばなおさらです。アクセス数だとか、RT数とか、いいね数とか、何かそういったものです。感想のツイートやメールをもらえたりもします。数字から文章までさまざまなフィードバックが返ってくるわけです。

ここまでは、わりとあっさり揃うのが現代でしょう。でも、これをゲームにするためにはあるものがありません。そう、ルールですね。

不自由が生み出す多様性

ルールは、ゲームを盛り上げる上で欠かせない存在です。「なんでもあり」なゲームほどつまらないものはありません。

ちょっと想像してください。スタート時点からずっと無敵状態のマリオを。穴に落ちても死なないマリオを。そんな状態でプレイして楽しいのは、最初の1面だけでしょう。あとはゲーム自体がずっと単調になるはずです。

ルールは制約を生み、制約が創造性を刺激します。つまり、面白さをそこに加味するのです。

最近の風潮は、自由を尊重し、不自由を嫌悪する傾向にあるように思えます。でも、不自由ってそんなに忌避すべきものなのでしょうか。サッカーもバスケットボールもアメフトも、「なんでもあり」にすれば最終的に似たようなもの(たぶん殴り合い)になるのではないでしょうか。それって面白いでしょうか。そこに多様性や豊かさはあるのでしょうか。

もちろん、過剰な不自由さは人の尊厳をおとしめるものであり、改善されるべき状態でしょう。でも、それは不自由さなんて何一つ無くてもいい、ということにはならないでしょう。適度な不自由さは__つまりそれがルールということです__、面白味を与えてくれます。

むしろ、極論すれば、どんな不自由を引き受けるのかという選択こそが、唯一の自由意志の発露なのかもしれません。

さいごに

話が大げさになってしまいました。ようは、何かを楽しむためにはルールが必要で、そのルールは「できること」だけではなく「できないこと」も規定する、ということです。

「なんでもあり」よりも「できないこと」がある方が面白い。パラドックスのようですが、たぶん実際はもっとシンプルな話でしょう。

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