蛇口と呪文 [先輩と後輩シリーズ]

「せんぱーい」
「ん?」
「ちょっと聞いてくださいよ」
「なんだ、やけに真剣な顔をして」
「私、思うんです。人は夢を追いかけるべきじゃないかって」
「……」
「なんですか、その沈黙は」
「いや、まあ、なんだその、がんばれ。じゃあな」
「ちょっと〜〜〜、スタコラと立ち去らないでくださいよ〜〜〜」
「ええい、ひっぱるな。シャツが伸びる」
「そんなユニク○のワゴンに並んでいる半額みたいなシャツのことなんてどうでもいいじゃないですか」
「失敬な。これは2割引で買ったんだ」
「どっちだっていいですよ。先輩はどう思うんですか」
「どうって、貴様の好きなようにすればいいだろう。ただ主語をデカくする必要はないな」
「主語?」
「自分が夢を追いかけたいなら、追いかければいい。何かを決めるのは貴様の権利であり責任だからな。ただ、それを≪人は≫みたいな一般論に拡大して、自分の責任を希釈するのは褒められたことではないし、人に押しつけるのも間違ってる」
「……」
「なんだ、その沈黙は」
「先輩の口から、責任なんて言葉が出てくるとは思ってもみませんでした」
「貴様が妙なことを聞くからだろう。でなければ、こんなこと一生言いたくなかった」
「なんですか、デレですか。ついにデレですか。でも、私興味ありませんよ」
「俺様もだ。意見の一致をみたところで、この話を決着させてもらう」
「ちょ、ちょっと〜〜〜、まだ話は終わってませんよ〜〜〜〜」
「だから引っ張るなと言ってるだろうが。日の丸が楕円になってしまう」
「よくそんなシャツ見つけてきましたね。というか、よく平然と着てますね」
「こういうシャツを着てると、変な勧誘連中がよって来なくなるメリットがあるんだ」
「それはそれで別の人たちを引きつけちゃう気がしますが」
「何事もメリットばかりではない」
「はあ……、いやシャツの柄はどうでもよくてですね。夢を追いかけようと決意したんですが、となると、やりたいことがいっぱい出てきちゃうんですよ。フランス語も勉強したいし、体力もつけたいし、脳トレもしたいし、アラブのお金持ちが集まる婚活パーティーにも出たい……。でも、時間がぜんぜん足りないんですよ。いちおう講義にもでなきゃいけないわけですし」
「まあ、そうだな」
「そこで、いろんな趣味に手当たり次第手を出している先輩にご助言いただければ、と思いまして」
「貴様! 誰がサブカル界のドン・ファンだ!」
「誰もそんなこと言ってませんよ。というかドン・ファンって誰ですか」
「まあいい。とりあえず、一つ言っておこう。大切なことだ」
「ちょっと待ってくださいね。メモしますから」
「良い心がけだが、何、簡単なことだ。≪できないことは、できない≫、以上だ」
「以上?」
「うむ」
「できないことは、できない?」
「我ながらシンプルで良い言葉だな」
「なんですか、それ。ぜんぜんアドバイスになってませんよ。返還訴訟起こしますよ」
「貴様は何の対価も支払ってないだろう」
「時間ですよ。私の大切な時間が失われてます」
「貴様の戯言に付き合っている俺様の時間はどうなるんだ」
「それは、先輩たるものの義務でしょ」
「……貴様は、強く生きていけそうだな」
「よく言われます」
「別に屁理屈でもおためごかしでもない。純然たる、アルティメットな真実だ。できないことは、できない。筋力が足りない人間は重量挙げができない。目が悪い人間は遠くのものが見えない。だったら、手持ちの時間が少ない人間はそれ以上の行動が取れない。当たり前の話だ」
「でも、時間の使い方を工夫したりすれば……」
「まあ、ちょっとは改善できるかもしれんな。でも、それはちょっとのことだ。思い通りのことが実現できるようにはならない」
「夢も希望もありませんね……」
「貴様が漫画にあてられ過ぎてるだけだろう。突然眠っていたチカラが目覚めて、あまたの問題を解決し、圧倒的なカタルシスを得る、なんてことは起こらん。問題は地道を積み重ねて、一つひとつ解決していくしかないんだ」
「だったら、その地道な方法を教えてくださいよ」
「それはできん」
「なぜですか。ああ、なるほど、なるほど。わかりました。意地悪ですね。小学生が気になる女の子にちょっかいかけるみたいなやつですね」
「その想像力は、驚嘆に値するな」
「よく言われます」
「別に意地悪なわけではなく、意味がないだけだ。蛇口が閉まってないのに、風呂の水を桶ですくい上げる方法を教えても仕方があるまい」
「あのですね。もう少しわかりやすく言っていただけないと、こちらとしても法的な処置を考えざるをえなくなりますよ」
「一体どんな刑法に違反しているのかは知らんが、まあ、まて。説明してやる。時間の使い方を工夫すれば、たしかに少しの時間は稼げる。できることも少しは増えるだろう。が、その間、貴様が漫画的ドリーミングに浸っていたらどうなる」
「すばらしいじゃないですか」
「まあ、当面の間はな。ただ、実行できることは少しだけだ。減らしていけるのは少しずつなんだ。が、貴様はその間夢見心地でいろんなことを≪やりたければ、できる≫と次々に増やしていく。5減らす間に100は増えるかもしれない。これがどういうことかわかるか」
「たいへんそうです」
「もちろんそうだが、それだけではない。そんな状態では、何も減っている気がしないだろう。それはつまり、5減らすという行為に価値を感じなくなる、ということだ。なにせ感覚は相対的なものだからな。だから、5減らす行為が無意味に思えて、一気に100減らすようなものを探してしまう。元の木阿弥だ」
「だったら、夢を諦めたらいいんですか?」
「そんなことは言っていない。そうやってすぐに極論に走るのはやめた方がいいぞ。≪できないことは、できない≫を受け入れることと、≪夢を諦めない≫ことは別に矛盾しない。言い換えてみればすぐに分かる。≪夢に向かって進む≫と≪できることを、する≫だ。これなら納得できるか」
「それならなんとか……」
「問題は、≪できること≫を大きく考えがちなところだ。人は無限の可能性を持つ、みたいな言説が跋扈しているからだろうな。可能性を持つことと、実際にできることには大きな乖離があるはずだが、どうやらそういう言説はあまり人気がないらしい」
「じゃあ、どうやったら≪できないことは、できない≫を受け入れられますか。ずばっとした解法を教えてください」
「あのな、そうやって物事を一瞬で解決しようとするのもやめた方がいいな。現実の事象はそんなにシンプルにはできていない」
「わかりました。じゃあ、どうやったら一瞬で解決しようとするのをやめられますか。ずばっとした解法を教えてください」
「……」
「なんですか、その沈黙は」
「おちょくられているかどうかを思案していた。おそらく否だろう」
「?」
「だろうな。人がどう考えるのかや、どういう行動を取るのかは、習慣と環境に依る割合が多い。意志が関与するのは非常に狭い領域だ。習慣は強固だし、環境は硬い。だから、意志が介在して、それらを少しずつ変えていくしかない」
「だったら、どうすればいいんです?」
「呪文だ」
「呪文?」
「リピート、アフター、ミー。≪できないことは、できない≫」
「≪できないことは、できない≫」
「それが呪文だ。別に今は納得できなくてもいい。ただ、そうやって何度か口にしておけば、何かの物事や出来事を見つめるときに、ふとこの言葉が思い浮かぶかもしれない。そのときに、ちょっと考えてみることだ。この言葉を通して、そうした出来事をな」
「それだけですか?」
「簡単だろ」
「あっけないくらいです。ありがたみがありません」
「真実にありがたみがあったことなど一度も無いが、まあ、それだと信憑性に関わるかもしれないな。だったら、お代でも頂戴しておくか。高いコンサル料ほど真実味が増すと言うし」
「えっ、アドバイスをいただけた上にお金までもらえるんですか」
「さすがに、それはおちょくってるな」
「もちろんです」
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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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