物書き生活と道具箱

仮置くしかない着想

『アウトライン・プロセッシング入門』では、「未使用」の活用が提案されている。

書いてはみたものの使うかどうかわからない断片や、編集中に不要だと思った断片を「とりあえず」格納しておくための項目__それが「未使用」である。これを使うと、要素の扱いに柔軟性が増す。

ポイントは「とりあえず」の部分にある。その時点ではややこしいことを考えずに、言い換えれば、認知資源を使用してしまう「判断」を経由させずに移動させることで、作業に抵抗値を発生させない。

また、その時点で存在している枠組みの外に出すことで「見えなく」はするのだが、完全に消したわけではないので、利用したくなったらすぐさま取り出せる状態は維持できる。そこからくる安心感もこの手法のメリットであろう。「捨てずに、捨てる」というわけだ。


さて、この「未使用」だが、見方を変えれば「未分類」とも言える。

もちろん、「未分類」という項目を立てて、その下位に要素を移動させることはすでに「分類的行為」なわけで、「未分類に分類する」という矛盾のようなややこしさもあるが、実用では困らない。

たんに、「はっきりしないもの」を入れておけばよいだけだ。


「未だ使い道がはっきりしないもの」を入れて置く場所は、予想以上に役に立つし、むしろ必要だと言える。

日常的にいろいろなことを考えていると、いろいろなことを思いつく。粒度も目的もバラバラな着想たちが、戦国時代の合戦前の武将のように次々と名乗りを上げ始めるのだ。「やいやい、我こそは神妙なる思い付きであるぞ」と。

その用途がはっきりしているなら扱いは困らない。しかるべき所属に割り当てればよいだけだ。R-styleの一記事になりそうだな、と思えばネタ帳ノートに書き込むし、まだまだ掘り下げが足りないなと感じるものはincubatorノートブックに放り込む。しかるべきポジションで、しかるべき仕事をしてくれるだろう。

問題は、流浪人である。

彼らは、推し量れない。その辺をうろつく武士と似たり寄ったりにも見えるが、案外日本を統べる武将になるかもしれない。お茶だけ出しておけばいいのか、それとも豪華な馳走を準備すればいいのか、その風体からは推測できないのだ。


たとえば、あるとき、こんな思い付きが降ってきた。「フィルターバブルに囲まれないための戦略」。面白そうではないか。とりあえず、前哨戦としてシゴタノ!で関連する記事を書いたが、まだまだ足りない。このテーマにはもっと肉を付けられるはずだ。

そこまではいい。力のある武将であることはわかった。が、どこに所属させていいのかは、いかにも流動的だ。

たとえば率直に「フィルターバブルを打ち破る5つの戦略」というショートブックを書いてもいい。2〜3万字ぐらいだろうか。カテゴリ的には知的生産の技術となろう。でも、そのとき別に構想を立てていた「情報摂取論」に組み込むこともできそうだ。なんといっても、フィルターバブルへの対策は「どうやって情報をインプットするのか」の姿勢や作法になるからだ。こうなると、この着想は、より大きな着想の一部となる。

片方は小さな国を統べる武将であり、もう片方は大きな国の武将の配下である。そして、どちらも別に「正解」ということはない。コンテンツは、いかようにも形を取りうる。

そして、その「可能性」を担保しておくためには、堅苦しい枠組みは向いていない。せいぜい「未分類」ぐらいがちょうどいい。


プロセス型アウトライナーがそうであるように、あるものの見出しは、あるものの要素になりうる。逆もまた然りだ。

求められるアウトプットが、常に定型・同サイズであるならば、このようなフレキシブルさを担保する要素は必要ないのかもしれない。しかし、私たちの目の前には多様なメディア(手段)が並んでいる。そこに、どうコンテンツを流し込むかも、思った以上にたくさんの選択肢がある。それらに備えるためには「未分類」が必要だ。

もちろん、「未分類」があるだけでは十分ではない。それをどう使うか・どう運用するかもセットになる。が、その話はまたどこかで改めてしよう。ブログがいいかもしれない。メルマガの連載という手もあるな。つまりは、未分類に放り込むネタというわけだ。

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