ソリッドステート・カレッジ

 午後特有のエネルギーと少々の眠気。教室はいつものように騒がしかった。
 ガラッ、と扉が開く。
「おい、軍曹だぞ」
 入り口近くの学生が、短くつぶやく。一瞬で教室は静まりかえった。
 ほとんど熊みたいな男が扉から顔を覗かせたと思ったとたん、すでにその男は教室の中にいた。見かけによらず俊敏なのだ。
 軍曹と呼ばれたその男はそのまま教室をぐるっと一瞥する。そして、だらしなくシャツを出している男子学生をギロリと見つめる。学生はビクッと震えた。
 軍曹が一歩だけその学生に近づく。その分、他の学生たちは一歩後ろに下がった。軍曹と学生を中心に環が生まれる。
「おい、貴様。デジタルツールのメリットを挙げてみろ」
「え、えっと本日はご機嫌も麗しく……」
「耳は正常か。デジタルツールのメリットを挙げろと言っている」
 学生は逃げられないことを悟ったネズミのように必死に頭を働かせた。言うべきことをまとめようとするが、うまく頭が動かない。これ以上の失言は危うい。そればかりが頭をぐるぐる回る。
「どうやら貴様はこの場にいる資格はないようだ」
「ちょっ、ちょっと待ってください。答えます。今答えます」
「求めたらチャンスをもらえると考えているなら、まずその考えを矯正する必要がありそうだな」
 軍曹ににらまれたままその学生は黙り込んでしまった。
「よし、ここは共に学ぶ場でもある。貴様らにこいつを助けるチャンスをやろう。誰かいるか?」
 再び軍曹が教室を見回す。人の壁の後ろから、一本だけ手が上がった。若い学生らしいすらりと伸びた腕だ。軍曹は、ニヤリと微笑んだ。「よし、貴様。前に出ろ」
 モーセの祈りのように人の壁が少しだけ割れ、手を挙げた学生の前に道ができる。学生はそのまま平然と歩き出した。誰かがゴクリと唾を飲み込む。ぎゅっと自らの手を握りしめる。ほとんど祈りに近いなにかを捧げる。
 ほう、と軍曹は言った。「女学生か。珍しい」
「関係、ありません」
 その女学生は、ポツリと言った。ほとんど拒絶の言葉に近かった。誰もが3秒後に顔を真っ赤にして怒り出す軍曹の顔を思い浮かべたが、軍曹は少し眉を上げただけだった。「たしかにそうだ。関係ない。ここで重要なのは、貴様が答えられるかどうかだ。そうだな」
 コクリと女学生は頷く。
「当然、答えられなかったどうなるかは十分わかっているんだろうな」
 軍曹は、嗜虐的な視線でその女学生を頭からつま先まで見つめる。「一晩中かけてたっぷりと、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を朗読してもらうぞ。しかも、あのろくでもない翻訳版をだ」
 学生たちは状況を想像して身震いした。その女学生だけが凛と立って、軍曹の視線を跳ね返していた。そんなことは、たいしたことではないと宣言するかのように。注意深く観察していたら気がついただろう。彼女の足がかすかに震えていたことを。
「では、デジタルツールのメリットを挙げてみろ」
 軍曹が促す。
 女学生は、黒縁の眼鏡を少しだけ上げると、そのまままっすぐと黒板へと向かっていった。チョークを手に取り、大きく1と記す。
「デジタルツールの最大のメリットは、その検索性にあります。その他のデータ軽量性や編集可能性、それに送信容易性といったものも情報環境戦略的に重要な意味を持ちますが、それらはあくまで付随的な要素と考えていいでしょう。検索性こそが、デジタルツールのメリットです」
「貴様が、他の要素を無視してまで検索性を重要視する根拠はなんだ」
「無視はしていません。さほど重要ではないと述べています」
「細かいことはどうでもいい。なぜ検索性がそれほど重要なのかを言ってみろ」
「簡単なことです。それが我々と情報の関係性に変容を迫るからです。非常に根本的なレベルで」
「では、その変容は何によって要請されるのだ。その具体的な因子について……」
 軍曹の言葉を遮るように、ベルの音が教室中に響き渡る。軍曹は顔をしかめたが、すぐに表情を変えた。
「十分とは言えんが、落第とも言えん。今回のところは、ひとまず合格としておこう」
 そう言って軍曹は、あっという間にいなくなってしまった。見かけによらず俊敏なのだ。
 学生たちは、いっせいに安堵のため息をついた。次はどうなるかはわからないが、今回はともかく切り抜けた。皆が賞賛の眼差しをその女学生に向けるが、彼女はむしろ面倒そうに長い髪をなびかせて、教室の隅に戻っていった。そして席につき、何かよくわからない表紙の本を読み始めた。
 それをトリガーにして、少しずつ教室にも騒がしさが戻り始めた。彼女の足はもう震えてはいなかった。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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