7-本の紹介

【書評】クール 脳はなぜ「かっこいい」を買ってしまうのか (スティーヴン・クウォーツ、アネット・アスプ)

蒸気機関の発明後、産業革命が一気に進み、我々の生産は大幅な進歩を遂げた。完全とは言えないが、物質的豊かさは世界中に広がっている。

そうやって生産が大幅に進化していったのだとしたら、対となる消費はどうなのだろうか。消費は進化したのだろうか。

クール 脳はなぜ「かっこいい」を買ってしまうのか
スティーヴン・クウォーツ アネット・アスプ
日本経済新聞出版社
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本書は、消費主義(コンシューマリズム)への批判に対する批判である。消費を「人を不幸にするもの」とは見ずに、むしろその社会的な力の良い側面に光を当てている。

消費を巡るあれこれ

著者らは、消費は本能に根ざしていて、しかも社会的な問題を解決していると説く。

もし、消費が本能に根ざしていないのだとしたら、私たちが生命活動を最低限維持するために買うもの以外は、すべて不合理な買い物となる。メーカーと広告代理店が結託して、私たちに「無用なもの」を買わせている、というやつだ。広告に煽られた消費者が、ヴェブレンが言う「誇示的消費」にお金をつぎ込んでしまう。それはいけない。やっぱり消費は悪者だ__というのは本当なのだろうか、と著者らは疑問を投げかける。

むしろ消費は、私たちの社会的な欲求に則していて、ごく普通に必要としているものではないか。そして、そうした傾向は、倫理面でも良い結果をもたらすことがあるのではないか。そのように本書は消費に新しい光を当てる。

物の選好と人

簡単に言えば、消費は私たちの社会的アイデンティティに影響を与える。それは一種のシグナルでもある。私たちは自らが何者なのかを物を使って相手に伝え、また相手が何者なのかを物を使って知ろうとする。

「本棚を見れば、その人がどういう人であるのかがわかる」といった言説があるが、そもそも部屋に大きな本棚があり、そこに大量の本棚が並んでいるだけで、その人がどういう人であるかのシグナルを発している。本だって、一つの商品であり、私たちはそれを買っているわけだ。他の物にだって、似たようなシグナルの機能はある。

「いや、人を持っているもので判断してはいけないよ」

と出木杉君みたいな発言をしてもいいのだが、そうは言っても私たちはスタバでコーヒーを飲んでいる人、片手にMacBookAirを抱えている人、イタリアブランドのスーツを着こなしている人、プリウスに乗っている人を見かけると、そうしたシグナルをどうしても感じ取ってしまう。それこそ本能的に。

だとすれば、皆が人民服を着て、人民パソコンを持ち、人民コーヒーを飲めばいいのかというと、これはもうSFを越えてホラーである。

物の選好と人のつながり

ポイントは、私たちはどうしようもなく物にシグナルを感じ取ってしまう、ということだ。もう少し言うと、物の選択にシグナルを感じ取る。

5人のママ友がいたとしよう。そのうち4人が同一メーカーのAndroid携帯を使っていたとする。残りの一人が初めてスマートフォンに機種変更するとき、iPhoneを選択すれば、もうそれは一つのシグナルを発してしまう。そんなものは、まったく合理的ではないことはたしかだ。くだらないとすら言えるかもしれない。でも、やっぱり残りの4人は、それなりに「ふ〜ん」と思うのではないか。

おそらく、学問の道に入り学者になろうとする人は、上記のような反応をくだらないと切り捨てるだろう。いや、あるべきでないとすら思うかもしれない。だから、これまで見過ごされてきた可能性がある。でも、なんだかんだ言って、私たちは他人の物の選択でその人の社会的なアイデンティティを確認しているし、逆に自分でもそれを意識して(あるいは無意識で)物を選んでいる。

そのような私たちの反応は、社会的なつながりをつくる。それは消費の良い側面でもある。

消費の進化

その良い側面は、本書が指摘する1950年代の「反逆者のクール」、1990年代の「ドットコム・クール」を経てより拡大してきている。著者らは指摘していないが、私はこれを「消費の進化」と捉える。受動的消費から、創造的消費への進化だ。

この進化のバックボーンは二つあり、一つは物質的な豊かさで、もう一つが情報化である。物が少なければ、そもそも選択ができない。この状態では受動的に消費するしかない。産業革命以降の爆発的な生産の拡大は、一つの商品のボリュームを増大させただけでなく、バラエティーの数も飛躍的に増加させた。選択が可能になったのだ。もちろん、自由市場がそれを支えていたことは言うまでもない。

さらに、そこにインターネットが加わる。インターネットは個人の情報発信を容易にし、消費者同士がメーカーを介することなく交流する素地を生んだ。結果的に、商品に社会的な意味づけを付与する行為が、誰にでもできるようになり、さらにそれが不特定多数に向けて発信できるようになった。

そうした消費の進化が、本書が言う「地位のジレンマ」を解消しつつある。

ゼロサムからの脱出

ピラミッド型の序列をイメージしてみよう。上に行くほどポジションの数は減る。もし、人がそのような序列に位置づけられてしまった場合、上に行くためには他の誰かを蹴落とさなければならない。この場合、誰かの幸福が上がれば、別の誰かの幸福が下がる。つまりゼロサムゲームだ。

この構造の場合、競争は過激になる。ポルシェに乗れば、ベンツに乗っている人よりも上に行ける。だったら、ベンツに乗っていた人はフェラーリに乗る? そうしてどんどん人は不必要なものを買ってしまう。これが「誇示的消費」で、実際そういう形の消費もあるのだろうが、プリウスを選択することはどうだろうか。

プリウスを選択することは、もちろん環境に配慮しているというシグナルを送っている。では、hi-プリウス、ex-プリウスというものが発売され、それらがより強く環境に配慮しているから、シグナルを強めるために高い車を買い争うような競争が起きているだろうか。どうにも、そんな風にはなっていない。

ピラミッド型の序列で激しい競争が起きるのは、人がそこで地位を求めるとき「上」にのぼるしかないからだ。では、そうではない地位(ステータス)の求め方が生まれたとしたら? それが本書が指摘する多元的なライフスタイルの登場である。そこでは消費は「誇示的消費」とはまったく別の意味合いを持つ。むしろ、好ましい意味合いを持つのだ。

さいごに

消費、あるいは消費を促進させるような行為には、たしかに望ましくないようなものもあるだろう。でも、そればかりではないし、消費こそが促進する倫理的な活動もある、というのが本書の面白い視点である。

その他関連書籍を上げておくと、「消費主義批判についての批判」については、『反逆の神話』も面白いだろう。多元的なライフスタイルの登場は、『権力の消滅』が参考になるかもしれない。

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか
ジョセフ・ヒース アンドルー・ポター
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権力の終焉
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では、Good Reading!

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