気づきと発見

「気づき」という言葉がある。「気づく」や「気づかされる」からの名詞で、そうして気づくという行為、あるいはそうした行為で得たものを指すのだろう。

きづき【気付き】の意味 – goo国語辞書

それまで見落としていたことや問題点に気づくこと。「小さな―が大発見につながる」「日々の―が成長をもたらす」「生徒の―を促す」

気づきは、多くの場合「気づきを得られた」という使い方がなされる。もちろん、それ以外の用途もあるだろうが、日常的に(特にビジネス系の分野で)耳にする場合は「気づきを得られた」という表現が大半を占めている。

「○○講師さんのお話で、深い気づきを得られました」

概ねこんな感じだろうか。これが一体どういう意味なのかはわからない。ただ、気づきには浅深があることと、それが「得られる」ものであることはわかる。

不思議と上記の表現は、こんな風には口にされない。

「○○講師さんのお話で、大きな発見をしました」

たぶん、この二つの文は違う意味なのだろう。そして、それが一般的に使われる「発見」と「気づき」の違いにもつながってくるはずである。


まず確認しておくと、「発見」と「気づき」は重なっている。それが指す対象がまったく同じことがある。しかし、重なっていない部分もある。そして、こういう場面では発見と言わず、気づきと言った方がニュアンスがフィットするな、と感じるとき、言い換えれば気づきを発見でパラフレーズできない場合、そこには「気づき」の独自の意味が宿っていると考えてよいだろう。

上に引いた辞書では「それまで見落としていたことや問題点に気づくこと」とある。おそらくここがポイントであろう。

発見も気づきも、「これまで目に入っていなかったことが、目に入るようになる」点では同じだ。ただし、気づきの場合「それまで見落としていたこと」が対象なのだ。これはどういうことだろうか。

「それまで見落としていた」ということは、言い換えれば「そこにあったもの」ということになる。そこにあったのだけれども、自分の目がふさがれていて見えていなかった。その目隠しを取ったとき登場するもの。それが気づきである。

はっきり言えば、それはその人の内側にあったものだ。だから「浅い」と「深い」がある。心の奥底__それがどこなのかは知らないが__にあるものを「再発見」したとき、「深い気づき」が得られたという表現になるのだろう。

だから、気づきは、その気づいた当人の価値観の追認である。基本的には「やっぱりそうなんだ」というものになる。

もし地球が真っ平らで、その他の星々が地球の周りを回っているという世界観で生きている人が、いや地球は球で、しかも回っているのは地球の方だ、なんて事実に思い至ったら、それを「深い気づき」とは呼ばないだろう。大発見である。この対比でも、気づきが内側にベクトルを持っていることがわかる。それは「私」に関する話なのだ。


もう一度書くが、「発見」と「気づき」は重なっている。

気づきと呼んでいるものを発見と言い換えることもできるし、その逆もできる。が、どうしても発見に言い換えられない「気づき」というものもある。それは内側にベクトルを持っているものであり、自分の価値観の追認でもある。

で、それは発見ではない、ということだ。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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