物書き生活と道具箱

「私はなぜ、この仕事に飽きていないのか?」

「ライフハック@京都」に参加してきました。

テーマは「好きなことをして生きていくために必要なこと」だったかと思います。とはいえ、このテーマから連想できるような内容ではありませんでした。さすがです。

さて、次のようなスライドがありました。

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「好きなことをして生きるには好きなことをますます好きになり続ける必要がある」

いささか禅問答めいていますが、ふむと思い至ることもあります。視点を変えてみれば、こういう疑問になるでしょう。

「私はなぜ、この仕事に飽きていないのか?」

幸運な若人

ちょっと考えてみましょう。

ある若い人がいるとします。仮にAさんとしておきますね。そのAさんは、Bという対象が好きでした。なんでも構いません。野球でも、文芸でも、YouTubeでも適当なものを当てはめてみてください。たまたまの幸運に恵まれて、そのBが仕事になったとしましょう。言い換えれば、「好きなことをして生きる」ことができるようになったわけです。

しかしながら、人間は変わるものです。その性質が希望と絶望の源でもあります。ということは、AさんがBを好きでなくなることも十分あり得るわけです。その場合、Bをし続けるのは「好きなことをして生きていく」ことにはなりません。悲劇です。

自分のことを振り返ってみると、10年以上コンビニ業界にいましたが、基本的にその仕事は好きでした。365日24時間営業的苦労はあったものの、仕事的な面白さは常にあったように思います。

もちろん幸運だったのでしょう。アルバイトから社員となりその後店長となって、私の仕事環境は時間と共に変化していきました。仕事の性質が変わるとなかなか飽きは来にくいものです。一方私の方も、アルバイト時代から「月刊コンビニ」という業界紙を自腹で買って読んでいました。なんだかんだいって、自分から「情報」を求めていたのです。

でもそれは大層な動機付けによるものではなく、ゲーマーが「ファミ通」を毎週買っているのと同じようなものです。「うまくやる」ための情報がそこにあるなら、知りたいよね、ぐらいのものでしかありません。が、結果的にそれが私のランクアップ(とここでは呼んでおきましょう)に役立った面もあるでしょう。

知識が増えると、選択肢が増え、新しい行動が新しい知識を起こす。その積み重ねで大きく環境が変われば、また新しいステージでのサイクルがぐるぐると回り始め、それはずっとずっと長く続いていく。その中にいる間は、飽きることはない。そんなことがあるのかもしれません。

文章を書くことと発見

結城浩先生のメールマガジン『結城浩の「コミュニケーションの心がけ」』の2016年6月7日 Vol.219にこんな文章がありました。

書籍を作っていく途中では、
そのような《発見》がほぼ確実にあります。
そして、そのような《発見》があると、
作業はがぜん楽しくなりますね。

結城はよく「本を書くことは楽しい」といいます。
作業として、お仕事としては「楽」ではありませんが、
自分が書いている文章を通して自分が学び、
「なるほどなあ!」という《発見》に出会うとき、
それは「楽しい」としか表現のしようがないものになります。

とても強く共感します。

私はこれまでいくつかの(あるいはたくさんの)本を書いていますが、そのそれぞれがすべて「新しい本」です。一冊一冊にチャレンジがあり、それはつまり「こう書いておけば良いだろう」というようなジャッジメントを用いないということでもあります。

「こう書いておけば良いだろう」は楽ではありますが、楽しくはありません。そして発見もありません。おそらくそれが、飽きるためのたった一つの冴えたやり方でもあります。

本を書いていると、あるいは文章を書いていると、文章表現の奥深さに気づかされます。あるものを提示するための「うまいやりかた」は一つではなく、さまざまなバリエーションがあります。人の思考を沈黙させる文章の書き方もあれば、刺激するような文章の書き方もあります。いろいろ試しながら文章を書いていると、そういう「発見」があるわけです。

その「発見」を通過した目で、これまで読んできた本を読み返してみると、そうした本たちがいかにうまく書かれているのかを「発見」したりもします。ときどきそれで打ちのめされそうにもなるわけですが、自分なりに意欲を燃やすこともあります。ステージが変わった、ということなのでしょう。

そうです。やっぱり「発見」が鍵なのです。

さいごに

結局、今のところ仕事に飽きそうな要素はまったくありません。そしてまた、私自身も飽きが来ないように仕事をしているのでしょう。というか、楽しく仕事をしようとすれば、結果的にそうなる、ということです。

さらに言うと、これはサイクルでありグルグルと回って、より大きく、より広く、より深く、と拡大していきます。それは他者からみれば明らかに「過剰」な状態でしょう。「なにもそこまで……」と思われるはずです。

でも、それが「適切」なレベルで維持されるのなら、いずれはサイクルは止まってしまうわけです。こればかりはどうしようもありません。

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