7-本の紹介

【書評】デジタル・ジャーナリズムは稼げるか(ジェフ・ジャービス)

話は簡単だ。アフター・インターネット(AI)の世界で、ジャーナリズム・メディアはいかにして生き残るのか。

「はたしてそれが可能なのか」については、著者は留保付きで頷いている。グーテンベルク・コンテキストから抜け出られたら、と。

デジタル・ジャーナリズムは稼げるか―メディアの未来戦略
東洋経済新報社 (2016-05-27)
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サービス業としてのジャーナリズム

著者の主張は明確だ。

ジャーナリストはコンテンツ・クリーターではない。では、なにか。サービス業だ。読み手に奉仕する存在だ。一昔前なら、ジャーナリストは情報を流しているだけで存在価値があった。が、現代では情報は何もしなくても流れていく。「情報が流れている」状態を作っているだけでは価値は生まれない。だから、新しい価値が必要になる。

では、その価値はどのように生み出すのか。「コミュニティに目を向けることだ」と、著者は説く。

私は何もジャーナリストにプログラマになれと言っているのではない。ただ、プラットフォームを構築せよと言っている。必ずしも、自らの手で直接作らなくてもいい。従来のように情報を一方的に流すのではなく、場を作り、皆の提供する情報を整理し、わかりやすく提示し直すことを仕事にするのだ。

ここではジャーナリストと、その情報の受け手である「皆」との関係性が変わっている。かつては、情報源を持つジャーナリストが上流であり、それを受け取るマスたる読者が下流にいた。しかし、アフター・インターネットの世界は違う。それぞれの「皆」もまた情報を持ち、さらに発信することができる。新時代のメディア戦略は、それを前提として構造を組み替えていかなければならない。

まずは「皆」をつなぎ、そこでの情報流通を促進する。その中で、歪んだ情報の流れがあるならば調整する必要があるだろう。足りない情報があるなら追加で調べる必要があるだろう。次の一歩のために新しい問いが必要になるかもしれない。それが、新時代のジャーナリストの役割だと著者は言う。

だから、ジャーナリストはサービス業なのだ。コミュニティに貢献することが、ジャーリストの意義であり、その評価も貢献によって測られる。決して「うん万人がこの記事を読みました」みたいなものでは測られない。その情報がどれだけ読まれていても、コミュニティにとってプラスにならないのなら、意義はないからだ。

よって、大きな姿勢の転換が求められる。少なくとも、「何も知らない国民に、良く知っている私たちが情報を与えてあげる」という姿勢ではとてもサービス業はできない。

いかにして儲けるのか

著者はそれを軸にしていくつかのことを語る。

「マス」が消失した中では、高い収益はとても望めない。よって、低収益を前提としたビジネスモデルを組む必要がある。その中で、クオリティーを維持しようと思えば、必然的に「ニッチ化」「ローカル化」へのシフトが求められるだろう。もちろん、全国的なニュースの需要は残るに違いないが、それを担えるのは少数のメディアに限られる。その代わり、ニッチ化した(あるいはローカル化)した多数のメディアが生まれ出る余地もある。

また、それぞれのメディアはNPOなどではなく、一企業として運営されるべきだ(あるいはその方が望ましい)と著者は言う。理由はいろいろあるわけだが、そもそもとしてそれが可能なのかの問題がまずひっかかる。その上、「有料メディア」(記事にお金を払う形式のメディア)は難しいだろう、と板挟みなことを言ってくる。採算を取る必要がありながら、記事を販売するのはうまくいかない。だったらどうするか。

もちろん第一は「広告」だ。嗚呼、ウェブ広告。と、一気に前時代的な話に戻りそうになるのだが、そういうわけではない。ようは今のウェブの広告「システム」が問題なのだ。どんな内容の広告を表示するのか、どのように表示するのか、その広告はどう評価されるのか。それが変われば、私たちと広告の関係も変わってくるに違いない。

さらに、サイトでの販売やイベントの開催なども、メディアの収益源の可能性として挙げられている。

もちろん、それらは「可能性」であって、うまくいくかどうかはわからない。そのことに不安を感じる向きもあるだろう。しかし、そもそも著者は完璧な答えを提示しようとはしていないのだ。言い換えれば、「こうすれば未来のメディア企業はうまくいきますよ」と答えを述べているわけではない。いくつかの問いと共に、現状で見えているヒントを示しているだけだ。

実際には、今後さまざまな形のメディア、あるいはジャーナリズム・メディアが実践的実験を行い、環境に適応したスタイルを見つけ出すだろう。少なくとも、その答えは今のところ誰一人持っていないに違いないが、そのことはジャーナリズム・メディアの展望が暗いことを必ずしも意味しない。たんに、これまで存在しなかったものを作り出さなければいけないというだけの話だ。

ちなみに、著者はいわゆるネイティブアド(記事広告)については否定的である。それはそうだろう。境界の曖昧な記事を載せることは、コミュニティに不信感を与える可能性を生んでしまう。メディアが読者ではなく、広告主の方を向いて仕事をしていると思われたら、コミュニティに貢献する機会を失ってしまうことだけは間違いない。

さいごに

私はジャーナリストでもないし、ジャーナリズムを目指してもいないが、自分がやっていることは本書で示されていることに非常に近いと感じた。このR-styleや、WRMというメルマガは、(まだ限定的ではあるが)一つのプラットフォームであり、ある種の人々を引き寄せる場として機能している。そして私はそこに向けて情報を発信している。

当然それはニッチで(ウェブ的)ローカルなわけだが、私がやりたいことを壊さないためには、そのくらいの規模であることが要請される。その意味で、不思議と希望を感じた一冊であった。

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