0-知的生産の技術 アウトライナーで遊ぼう

WorkFlowyでメルマガを読む!

まさにデジタル読書。

workflowyでメルマガを読む | らくたのぶろぐ

Workflowyではタスク管理をしたり、ブログを書いたり、日記を書いたりしています。最近では、メルマガを読むのにもWorkflowyを使っています。Workflowyでメルマガを読む方法とメリットを紹介します。

このようにアウトライナーに文章を入れて「読む」とどのような変化が訪れるでしょうか。

読むと書くの近接

まず、上記記事でも触れられているように「読むと同時に書く」ことができます。

思いついたこと、感想、ツッコミなど自由自在に記入できます。でも、それだけなら紙の本の空白に書き込んでいるのとあまり変わりありません。せいぜい、書き込む量に(物理的紙面の)限界がないことくらいでしょうか。

でも、よくよく考えてみると、それは大きな変化です。

紙の本の余白に書きつける場合、主従関係で言えば本の内容が主で、自分の書き込みは従となってしまいます。しかし、アウトライナーでは、それらは等価です。というか、むしろ自分の書き込みの方が主になることすらあります。


アウトライナーに入った時点で、それぞれの文章は「一つの素材」となります。

本文に誤字があるなら、自分で書き直しても構いませんし、もっとうまい表現が見つかったらリライトしてもよいでしょう。なんなら構成をいじっても構いません。

先ほど書いたように、膨大な感想を書くこともできますし、その場合本文は簡単に「引用」に変身します。

つまり、これはなんでしょうか。

「読むこと」と「書くこと」は、つながっています。ただし、そのつながりは細く長い線でのつながりです。両者をくっつけるためには、じっくり糸を辿っていくしかありません。

一冊の本を読む。それで5枚くらいの情報カードを作る。また別の本を読む。そこでもまた5枚くらいの情報カードを作る。そうした情報カードを幾枚も積み重ねて一冊の本の素材とし、文章を書き起こす。

実際に「情報カード」を使うかどうかは別として、概念的にはこういう流れがあります。

文章を読むことで考えて、文章を書くことでも考える。それを繰り返しながら、大きな繭を作り上げていくのです。

そこで重要なのは「主」の感覚です。

本(というか文章)を読むとき、私たちは受け手でありそれは従の感覚です。「うんうん」と頷く場合でも「いや、それは間違っているよ」という場合でも、主軸はその本(というか文章)にあるのです。言い換えれば、私たちは反応しているに過ぎません。

そこから「じゃあ、自分なら何を言うかな」という視点に立つことが主の感覚です。その感覚においては、さきほど読んだ本(というか文章)は、「一つの素材」になりえます。


ということを考えると、アウトライナーで文章を読むことは、「主」の感覚を持ちやすくなるようなメリットがありそうです。

もちろん、それでも「読むこと」と「書くこと」の間には距離はあるわけですが、それを3歩ぐらいは縮めてくれるかもしれません。

いかがでしょうか。

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