さて、いよいよ7月に入りました。
振り返ってみると、結構面白い本に巡り会えた半年でした。
というわけで、簡単にまとめてみます。
ネット・メディア・コミュニティ
カール・クラウスという、たぶん偏屈で、であるがゆえに最後までペンで闘った男性の評伝。印象的だったのは「一人で雑誌を作り、運営していた」という点。そこには何かしら、現代での文芸・ジャーナリズム活動に希望を見出せそうな予感があります。
この本をどう受け止めるかはわかりませんが、既存の文芸ルーツとは違う道が出来つつある、という点だけはたしかです。その点を踏まえて、クリエーターやパブリッシャーはどう動くのかを考えざるを得ません。でもって、大切なのは「読者がどこにいるか」です。
深く、深く感心しました。そして、希望も感じました。カール・クラウス本から感じたのと同じ希望です。でもって、既存の大きな組織に寄り添わない生き方の選択ということで、ウェブ小説の話なんかも呼応してきます。
未来のあるべき姿、というほど光り輝いてはいませんが、おそらくこうならざるを得ないだろうな、という予感はかなりの強度です。少なくとも、ジャーナリズムはこれまでのビジネスモデル、あるいはその規模を維持できなくなるでしょう。でも、そのような状況の中でも、リストラクチャリング(本当の意味での構造的改革)を行うことで、生存できるかもしれません。また、していくべきでしょう。
でもって、それは雑誌メディアからの収益が落ちつつある(あるいは広告収入が落ちつつある)日本の出版界隈に敷衍できる話でもあります。そこで注目すべきなのが、「コミュニティ」であり、それは結局、これまでの本の話とも似通ってきます。
新時代のマーケティング
上記二冊は合わせて読むと、旨味成分の相乗効果的に面白さが増します。
持続的に関心を集めることと、「絶対価値」が注目される時代に最適化すること。必須の考え方ですね。
本とバブル
読書というのは、著者との密室の対話です。でも、私たちはさまざまな著者と対話することで、ある意味開いた状態を保つことができます。また、一冊の本自体も引用や注釈によって、他の本とリンクしています。閉じていて、開いている。そういうメディアなのです。
一方インターネットは、オープンなネットワークなのですが、そこに「利便性」のテクノロジーが入り込んでくることで、徐々に閉じ始めてきている傾向もあります。それは有料の壁といったことではなく、コンテキストの偏り、という形の閉じ方です。
そういう閉じ方は、限定的・短期的な快をもたらしてくれるかもしれませんが、社会全体からみても、個人の精神的健康性から見てもあまりよろしいことではありません。開いていて、閉じている。それがフィルターバブルです。
日本の常識
『「空気」の研究』も抜群に面白かったですが、本書の指摘にも唸らされるものがたくさんあります。
でもって、この日本の「変わらなさ」具合がちょっと怖くもあります。まあ、文化なんてそんなに短期間で激変することはないのでしょうが。
知識と理解
巨大な斧を抱えた執行人が「2016年上半期で一冊だけ選べ。でないと首をちょん切るぞ」と脅してくるならば、本書を挙げることでしょう。これまで挙げた本もどれも面白いですし、挙げなかった本にも面白さはあるのですが、新書というボリュームでここまで丁寧かつ面白く、「分かる」ということについて書かれている本はなかなかありません。ストレートに良書と言っていいでしょう。
さいごに
というわけで、ぎゅぎゅっと10冊に絞り込んでみました。
その他、購入した本に関しては、「rashitaのバインダー」からご覧下さい。
では、皆様も良い読書を。
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