物書き生活と道具箱

『「超」整理法』を前にして考えている三つのこと

のきばトーク、第八回収録しました。

テーマは『「超」整理法』について。

とはいえ、結構雑多な話となりました。毎度好例ですね。

疑問点

個人的に、気になっているのは次の3つの点です。

  • 『「超」整理法』の面白さは何か?
  • 『「超」整理法』はflagbookなのではないか?
  • 『「超」整理法』を現代で提出するとすれば?

『「超」整理法』

火薬庫ぎりぎりの話をしますが、『「超」整理法』って面白いんです。本としての強度がある、と言い換えてもよいでしょう。ごく普通に今でも再読しますし、そのたびに結構引き込まれて読んでしまいます。

実用書・ノウハウ本でありながらも、ちゃんと本として面白い。

それは本書で提示されているノウハウが現代でも通用する、ということとは別に、おそらく本書の建て付けも関係している気がします。つまり、「何が書かれているか」だけではなく「どう書かれているか」も影響している、ということです。

ちょっと、この辺りについては深掘りしてみたいところです。

『「超」整理法』はflagbookなのではないか?

最近考えているのは、これです。

私は、『「超」整理法』から(実際は『「超」勉強法』から)スタートし、知的生産に関する著作をさんざん漁ってきました。で、とうとう『知的生産の技術』に辿り着いたわけです。原典との遭遇。

そこから、現代における「知的生産の技術」についての思索・探求が始まったわけですが、その中で、『「超」整理法』を単なる『知的生産の技術』の系譜としか捉えてこなかった気がします。木の幹は『知的生産の技術』だけであって、それ以外の本は枝葉にすぎない、という見方です。

でも、それはちょっと間違っているのではないか。そんなことを思いつつあります。

私と、私よりも少し上の世代(のライフハッカー)はだいたい『「超」整理法』を読んでいます。影響も受けています。私と同じように、『知的生産の技術』はそれよりも後に読んだ、という人もいるようです。

だとすれば、『「超」整理法』を『知的生産の技術』の系譜にだけ置くのはいささか視野が狭いかもしれません。実際に系譜の本ではあるのですが、この本はこの本でエポックメイキングだったのではないのか、という疑問が立ち始めています。

たとえば、私は中学から高校時代に必死にB’zを聴いていました。今ではもう音楽の趣味はずいぶんと変わってしまいましたが、それでもB’zの曲を耳にすると「帰ってきた」(at home)な感覚があります。音楽の原風景を形作っているのです。

でもって、それは思想や価値観、ある種の物事に対するアプローチにも似たようなことが言えるのではないでしょうか。もしそれが言えるのならば、多感な時期に『知的生産の技術』を読み込んだ世代と、『「超」整理法』を読み込んだ世代では、何かしらの違いが発生していてもおかしくありません。

その視点に立って、もう一度知的生産の技術に関する本たちを点検していくのも面白そうだと感じています。

『「超」整理法』を現代で提出するとすれば?

上の二つの疑問が合わさると、この疑問が立ちます。

まず、『「超」整理法』の面白さを解剖する。でもって、その要素を踏まえて現代で再提出する。その際は、単に現代の情報を織り込むだけではなく、世代の転換にも目配せする。

どういうことかというと、『知的生産の技術』、『「超」整理法』、『ストレスフリーの整理術』とflagbookは移動してきていて、それぞれの世代の特徴がそこにあるはず。だとすれば、今の世代の感覚に合わせて、その本の建て付けを変える必要がある。『「超」整理法』が好きな世代に、懐かしさで訴えかけるのではなく、むしろ新しさをもって新しい世代に受け入れてもらえるようにする。

その際は、現代のナレッジウォーカーや一般の市民がどのような状況に置かれているかを考える必要がある。

みたいな、(いささか壮大な)計画です。

たいへん面白そうですね。できるかどうかはわかりませんが。

さいごに

というわけで、最近のホットは『「超」整理法』の解剖です。

またちょこちょこブログで記事を書くかもしれません。

では、では。

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