7-本の紹介

【書評】ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 (アダム・グラント)

GIVE & TAKE』のアダム・グラントの新刊。

ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代
三笠書房 (2016-07-01)
売り上げランキング: 247

オリジナリティー、創造性、リスクテイク、締切、チームメイキング、子育て……と、話題は豊富だが、代わりに『GIVE & TAKE』に見られたような全体をまっすぐ貫く軸はない。悪く言えば、散漫である。

それでも、著者の表現はいちいち腑に落ちる。比喩が巧妙なのだ。それに、「なるほど」を頷く話も多かった。その意味で、読み応えのある本ではある。

概要

本書は「オリジナルな人」になるための本なのだが、そもそも「オリジナルな人」とはどのような人であろうか。

著者は、本当の意味で完全にオリジナルなものなど存在しないと断った上で、オリジナリティーを「ある特定の分野において、その分野の改善に役立つアイデアを導入し、発展させること」と定義している。

たとえば、アガサ・クリスティーの小説のネタを、ライトノベルに持ち込んで一つの作品を書き上げ、それで新しい需要を喚起したのならば、それはオリジナリティーがあった、ということになる。高尚さはないが実際的な定義であろう。

その上で、著者は「オリジナルな人」を次のように定義する。

みずからのビジョンを率先して実現させていく人

その上で、すべての人がこの「オリジナルな人」になりうることを論じていく。

目次は以下の通り。

1 変化を生み出す「創造的破壊」―「最初の一歩」をどう考えるか
2 大胆に発想し、緻密に進める―キラリと光るアイデアとは
3 “無関心”を“情熱”へ変える法―まわりを巻き込むタフな説得力
4 賢者は時を待ち、愚者は先を急ぐ―チャンスを最大化するタイミング
5 「誰と組むか」が勝敗を決める―パワフルな結束をつくる人の見分け方
6 「はみ出す人」こそ時代をつくる―どこに可能性が隠されているか
7 ダメになる組織、飛躍する組織―風通しよく、進化を遂げるしくみづくり
8 どんな「荒波」も、しなやかに乗りこなせ―あらゆるものをエネルギーにする方法

発想・創造性に関しては、「傑作を生み出す可能性を高めるには、多くのアイデアを生み出すこと」と身も蓋もないことが書いてあるが、これは私が『ハイブリッド発想術』で書いたことでもある。やはり基本は基本なのだ。

その他も、わりと「うん、そうだよな」と頷ける話が多いのだが、二つ興味深いことがあった。それを紹介してみよう。

臆病なリスクテイカー

前々から何かおかしいな〜と思っていたのだ。その違和感が本書ではっきりした。

リスクを嫌い、アイデアの実現可能性に疑問をもっている人が起こした会社のほうが、存続する可能性が高い。そして、大胆なギャンブラーが起こした会社のほうがずっともろいのである。

インターネットで「リスクを恐れるな!」と息巻いている人が、なんだかんだでどこかに消えてしまう。でも、起業においてはリスクテイクは必須である。だから、その言説は間違っているようには感じない。が、現実にはどこかに消えてしまっている。

この奇妙にねじれた現象に首をかしげていたのだが、なんのことはない。息巻いていた人たちはリスクを取りすぎていたのだ。FXで言えばレバレッジをかけ過ぎていた。だから、ちょっとした足の踏み外しでポシャッてしまう。

ビジネス書の文脈では、社会的成功者(大企業のCEOをイメージしてくれればいい)は、積極的にリスクを取った勇者として描かれる。おそらく本人も、要請に合わせてそのように振る舞うのだろう。しかし、実体はそうでないとしたら……。

虚像のカリスマに憧れて、「成功するためには積極的にリスクをとることが必要」だと信じてしまえば、当初はうまくいっても、結局どこかで転けるだろう。それも大きく転けるだろう。

ドラッカーが言っているように、リスクマネジメントとは、リスクを回避することではなくリスクを取ることである。正確に言えば、リスクを取っても大丈夫なのように全体を管理することだ。ある部分で失敗しても、会社の経営が傾かないようにコントロールすることだ。「リスクを取りさえすれば、うまくいく」という発想では、そのような考え方は出てこない。

リスクとは、むしろいやいや取るものだ。あるいは、仕方がなく取るものだ。喜んでリスクを取ったり、無防備にリスクを取るのは、結局ギャンブラーに過ぎない。それでは、長期的な持続は望みようもない。

先延ばしと創造性

ある種の人の胃を痛烈に痛めるような話もある。

実は、私はその話にこっそりと喜んだ。なにせ、「先延ばし」はクリエイティブな仕事に有益だと言うのだ。

先延ばしは「生産性の敵」かもしれないが、「創造性の源」にはなる。

ようはちゃっちゃと終わらせるのはよいのだが、そうすると多様な可能性への目配せが無くなってしまう、ということだ。もちろん、異論はあるだろう。でも、その前に少し聞いて欲しい。

今週配信したメルマガに、「執筆観察日記」を添付した。自分の執筆作業の記録を綴った日記だ。

その日記によると、5月25日に原稿の依頼を受け、その時点でだいたいの方向性は決めていた。で、実際の原稿の下書きに着手したのはいつかというと、6月6日である。6月10日が締切なので、わりとギリギリだ。

書こうと思えば、5月25日の時点でも書き始められたことは間違いない。でも、私は5月25日〜6月6日の間に、タイトルはどうしようとか、紹介するエピソードには何があるだろうかと考えていた。最終的にそこで思いついたアイデアをすべて原稿に盛り込めたわけではない。むしろ、大幅に削り取った。

とはいえ、じゃあこの間の作業が無駄だったと言えるかというと難しいだろう。テキストファイルを4000文字埋めることは5月25日の時点でもできたが、それでは(自分でも)満足行く結果にはならなかったに違いない。

だからそう。早く終わればいいというものではない。
※もちろん、締切を守ることも必要だ。

もう一つ、この話に関連する希望の話があるのだが、それはまた回を改めて紹介しよう。

さいごに

冒頭にも書いたが、本書は全体的に話題が散漫である。

最後まで読み終えても、「そうか!こうやってオリジナルな人になればいいんだ」という指針なようなものも得られないし、一つの大きな軸が腹おちするようなこともない。

それでもいくつかのパートは、結構面白く読める。なんなら目から鱗すら落ちるかもしれない。特に、過激なビジネス書に当てられている人にはよい団扇となってくれるだろう。

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