確信というウィルス

私は正しい。
私は間違っている。

私は賢い。
私は愚かしい。

私は正しい。
私は間違っている。

私は、自分が正しいと考えている。
私は、自分が間違っていると考えている。

私の考えは正しい。
私の考えは間違っている。

ん?

私は愚かしい。私は間違っている。私の考えは間違っている。私は、自分が間違っていると考えている。

私が持つ「自分が間違っている」という考えは、正しいのか、間違っているのか。

私が持つ「自分が間違っている」という考えが間違っているなら、私は正しいことになる。
私が持つ「自分が間違っている」という考えが正しいなら、私は間違っていることになる。

矛盾。その背後にある、自己に対する絶対的な肯定と確信。

検証を経ない確信。直感に導かれた確信。それらは先に結論がある。すべては後付けとなる。

あらゆる過ちと愚かさの源。人はそれを傲慢と呼ぶ。

私は賢い。
私は愚かしい。

どちらでも構わない。どちらであっても、それを先駆的に確信し、「事実」として固定してしまった段階で、知性の歩みは止まる。

たしかに私は愚かしいのかもしれない。でも、愚かしくない部分もあるのかもしれない。あるいはあるタイミングでは愚かしく、別のタイミングでは愚かしくないのかもしれない。ある基準で測れば愚かしく、別の基準で測れば愚かしくないこともありうる。

1bitからの脱出。
       一つ上の階層へと。

免疫系の存在しない体内、ウィルス対策アプリがないPC、そして、自問が発生しない思考。危うい直感と、検証不足の確信が暴れ回り、猛威を振るう。やりたい放題の世界。

煮沸、検証、CTL、自問、消毒、仮説、アップデート、アップデート、アップデート……

「致命的なエラー」が見つけられない致命的なエラー。

→私は正しい
 私は間違っている

さて?

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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