前回:やりたいことをやるために僕たちができること (その2)
徹人 確認しておこう。何かを達成するには、「する」時間を増やすしかない。そして、そのためには優先順位を付けるだけでは十分ではない。そうだったね。
青年 ええ。その点がまだ十分に納得できていませんが。
徹人 なあに、難しい話ではないんだよ。たとえ優先順位を付けたとしても、それで行動が発生していないのであれば、それは真の意味での優先順位にはなっていない、ということだ。
青年 行動の発生、ですか。
徹人 そう。それが要なんだよ。人間はね、やりたいことができない状況だと、なぜだか「言い訳」を探そうとする。私はこれこれだから、できないんだと。不思議なことに、それで納得してしまう。状況を受け入れるといってもいいかな。それが導くものは、行動の非活性だ。それはわかるね。
青年 イメージはできます。
徹人 ライフハックとは、そこから一歩を踏み出すことだ。「じゃあ、今の状況でできることは何だろうか」、とね。これは、スタート地点を変えることでもある。一番最初は「かくあるべし」からスタートした。でも、うまくはいかない。そのときに、もう一度「かくあるべし」に戻って失敗するのではなく、諦めて歩みを止めてしまうのでもなく、その地点から何か目印を探して進むこと。それが大切なんだ。
青年 時間を作ることや、優先順位を決めることでも同じことが言えますか。
徹人 もちろんさ。むしろ、これはありとあらゆることに言える。優先順位をA〜Cで決めるやり方がうまくいかなかったとする。そのときは、考えるんだ。なぜうまくいかなかったのかを。そして、どうすればうまくいきそうかも考える。たとえば、Aが多くなりすぎて結局行動が選べていないのなら、Aをたった一つだけにするといい。そして、Aを付けたタスクをすぐさま実行する。それが終われば、またリストに戻ってどれか一つだけにAを付ける。これでタスクはぐんぐん進んでいく。
青年 そんなにうまくいくでしょうか。
徹人 そんなことはわからないさ。うまくいかなければ、また考えるんだ。いいかい。ある方法をうまくやることに懸命になりすぎて、その目的を忘れてしまってはいけない。方法は、変えていいんだ。大切なのは、目的に向かって進むことさ。
青年 それはたしかにそうですが……。結局、僕は何をすればいいんでしょうか。
徹人 やるべきことを見定めて、そのために時間を使うことだ。
青年 効率的にそれを行うわけですね。
徹人 それは違うね。効率なんていうのは、主要な目的ではありえない。目的を達成するために、たまに必要になる程度のものだ。
青年 しかし、時間を有効に活用しようとすれば、効率的であることは避けられないのではありませんか。
徹人 それは一見正しいように思えるね。でも、それを突き進めていくとどうなるだろうか。
青年 どうなる? どんどん効率的になっていくでしょう。
徹人 そういう風に思えるね。でも、本当にそうだろうか。
青年 僕にはわかりませんよ。それともあなたは、「効率すなわち非効率なり」、なんて禅問答みたいなことをおっしゃりたいんですか。
徹人 そこまでひねくれてはいないが、概ね方向は合致しているね。はじめから効率的にやろうとするから、足を止めてしまうことになる。ようは行動の非活性が起きるわけだ。
青年 また出てきましたね。行動の非活性。
徹人 効率的であろうとすれば、これまでと同じことを続けていればいい。失敗することなどに手を出さなければいい。一度やってうまくいかなかったら、別のうまくいく方法をまたどこかから借りてくればいい。無駄なことを何一つしなければいい。いや、いっそ進もうとしなければいい。最強のエネルギー効率じゃないか。
青年 それが行動の非活性というわけですね。
徹人 そうだよ。効率的であろうとすることは、効率的であらなければならないという思考の呪縛を生む。そして、効率的でないことを一切避けるようになってしまう。結局そこでは新しい行動は生まれようがない。
青年 だったら、あなたは効率なんてまったく考えなくていいと主張されるんですか。
徹人 そうではないよ。はじめから効率的であろうと考えるのではなく、徐々に効率的にしていくと考えるんだ。それはカイゼンの一つの指標であって、「かるあるべし。でなければ不要」という規範ではない。それがごっちゃになると何も身動きが取れなくなる。試すことができなくなってしまうんだ。
青年 試すこと、ですか。
徹人 そう。試すこと。考えること。修正すること。そして、また試すこと。これを繰り返して、徐々に効率的になっていくんだ。そして、同時にそれは習慣にもなっていく。そうなればしめたものだ。なにせそれは優先順位が変わったことを意味するからね。
青年 どういうことですか。
徹人 いいかい。何かが習慣になったということは、それは無意識での優先順位が最高レベルに達した、ということだ。なにせ、優先しようと意識しなくてもそれをやってしまうわけだからね。私が空き時間についつい本に手を伸ばすみたいに。
青年 その境地にまで至れば、自然と「する」時間は増えていくわけですね。
徹人 そういうことだ。これにはまあ、時間はかかるがね。