マーク・ワトニー。
植物学者、メカニカル・エンジニア、そして、有人火星探査船<アレス3>クルー。
言うまでもなく『火星の人』(映画は『オデッセイ』)の主人公その人である。
彼は立派な人である。ルフィーとか島耕作とかカイジに学んでいいなら、彼からも僕たちは学ぶべきだろう。そうにちがいない。
できることをする
たぶん、そのとおりになるだろう。なぜなら、ぼくは確実にここで死ぬだろうから。ただ、それはみんなが思っているソル6ではない。
彼は火星にひとり取り残されたとき、諦めなかった。いや、違う。彼は常にできることをした。
彼は、そのまま何もせずに死を選ぶこともできた。しかし、違う選択もあった。彼は元気だったし、食料品や空気など生命活動を維持してくれるものもあった。だから、何か行動を起こす選択もできた。そして、それをした。
諦めるという選択は、本当に一番最後まで取っておかれた。そして、それが諦めない、ということだ。
諦めないとは、歯を食いしばって耐えるのとはちょっと違う。「できることをする」ということなのだ。
問題はひとつずつ解決していく
もちろん、一年分の食料で四年生きのびるためのプランが描けているわけではない。だが、いまは一度にひとつのこと。とりあえず腹はいっぱいだし、目標もできた──ヘタレ無線を直すぞ。
解決すべき問題は山のようにあった。私が抱えているタスクリストなど、幼稚園生のそれにみえるくらいの規模であっただろう。でも、どうしたってそのすべてを一気に解決することはできない。一つひとつ解決していくしかない。
時間的な制約もある。スキル的な制約もある。認知能力的な制約もある。それだけではない。問題を一気に解決しようとすると、また別の問題が起こることもあるのだ。問題解決のジャグリング。パラメータが多すぎて、何が原因なのかも特定できない。これでは、問題を解決しようがない。
足場を固めるみたいに、一歩ずつ進んでいく。「できること」をして、一歩ずつ進んでいく。
二つ以上のスキルを持つ
ミッションのクルーは全員、専門分野を二つっもっている。ぼくは植物学者でメカニカル・エンジニア──つまり、植物とたわむれるミッションの修理屋さんだ。なにかが壊れたときには機械工学の知識がぼくの命を救ってくれるかもしれない。
知識は、身を守る鎧となる。
彼がどちらか片方だけのエキスパートなら早々に火星ではじめての死者となっていただろう。
専門分野を複数持つことは、対処できる問題が増えることを意味する。ただし、そうした道のりだって、一歩一歩進んでいくしかない。
シミュレーションする
計算してみると、このままではいずれ飢える日がくることがわかった。
こんなものはどうしたって計算したくない。でも、するしかない。それが「できること」の一つでもある。安易な楽観は、必要な計画を歪めてしまう。かといって、計算もせずに絶望すれば、手が止まるだけだ。
冷酷な現実を見つめるためのシミュレーション。それが、次なる行動を生み出してくれる。
リスクをとる
ダメもとで、やってみます。
とはいえ、完璧なシミュレーションはできないし、そもそも「リスクゼロの行動は一つもありません」ということだって起こりえる。そういうときは、リスクを取るしかない。だからこそ、シミュレーションをする。どのような準備をすれば、そのリスクが一番小さくなるかを考えるわけだ。
何も考えずに、「直感」のままにリスクをとること自体が、おそらく一番のリスクだろう。
実際的に考える
つぎに、大義のため、スペーススーツを一着、犠牲にした。
スペーススーツは、もちろん着るためのものだ。でも、別のためにも使える。所詮は道具である。
生き残るためには、ブリコラージュ的アプローチが欠かせない。逆に、その視点を身につければ、この世に存在するありとあらゆるものが、素材となる。それが可能性を広げてくれる。
チェックする
一日中、ハブの全システムのフル診断ルーチンをランさせてすごした。
非生産的である。しかし、それが唯一のセーフティーネットなのだ。これは単純な効率で測定してはいけないものだ。「一日の仕事効率を最大化するためには、診断ルーチンを走らせるなんて無駄ですよね」という考え方が、見えないリスクを増大させていく。
効率を短期的に計算すればするほど、根本の土台が腐り始めていく。
ユーモアを忘れない
ぼくは痩せても枯れても植物学者だぞ! みなの者、ぼくの植物学パワーを畏れよ!
「真面目」だけでは生き残れない。
「真面目」は、状況が悪くなったとき、一気に精神的マイナスにはまり込んでしまう。あるいは、不条理な出来事__火星では地球の窒素みたいに満ちあふれているだろう__に遭遇したとき、怒りに飲まれてしまう。「なぜ、こんなことが起こるんだ」。その感情に引き込まれたら、シミュレーションすることも、実際的に考えることもできなくなってしまう。
ユーモアの感覚が、状況を俯瞰的・客観的に見る視線を取り戻してくれる。
さいごに:記録を残す
もし黒焦げになったハブの残骸が発見されたら、ぼくがなにかへまをしたということ。このログは二台のローバーにコピーしているから、たぶん無事に残ってくれると思う。
彼は記録を残した。なんのために? のちのちやってくるはずの人類のためにだ。
人の命は短く、その声は限られている。
でも、記録は残る。足跡を刻む。
レコーダーに向かってログを残しているとき、彼は<人類>とつながることができた。自分の矮小な生を、継承され、組成される生命体へと接続することができた。
記録は便利だ。
でも、それだけではない。
記録を残すことは、希望の細い糸を掴むことなのだ。