6-エッセイ

計画とシミュレーションのあいだ

Only where love and need are one,
And the work is play for mortal stakes,
Is the deed ever really done 
For heaven and the future´s sakes. 
 - Robert Frost –  


「空いた時間にやるべき大事なこと」を考えていては、いつまでたっても時間管理はうまくいかない | シゴタノ!

「計画を立てる」というのは「今週の計画」とか「今後の計画」とか、やらないとならないことをリストに書き出してカレンダーに分散させるということでしょう。でも、タスクシュートでとにかくやることは、そんな「計画」ではなくシミュレーションです。

計画とシミュレーションについて考えてみる。

小売店の計画

世の中には「予算計画」なるものがあるらしい。たとえば、何かの小売店をイメージしよう。

次の月の一日ごとの売上げを__前年の動向を加味しながら__「想定」し、それに見合う人手を充てる。平日は少なめに、休日は多めに、といった具合に。もちろん、そういう作業をしなければ、スタッフのシフトなど組めない。でも、それは「想定」だったはずだ。仮決めというか、話を前に進めるためのたたき台だったはずだ。しかし、不思議とそれが力を持ってくるらしい。

「○月○日の売上げ目標は、○○円よ。まだぜんぜん届いてない。頑張って!」

なぜその目標が達成可能なことになっているのだろうか。目標を立てたのが先月だったとして、その日に雨が降るとか気温が上がりすぎるとか、そういう変数は織り込めたのだろうか。近くで突発的なイベントがある、ポケモンGOが予想以上に流行る。そういうことがわかっていたのだろうか。

そんなわけはない。

目標を達成しようという前向きな気持ちは大切である。でも、そもそもその目標が達成可能であるかはまた別の話だ。あやふやな予測に基づく目標は、あくまで目安にしかならない。一日ごとに目標が達成できた、できていないと騒ぐよりも、一ヶ月トータルとしてどのくらい売上げが達成できているのかを見た方が健全だろう。

はたしてそれはイコールか

大切なのは、「したい」と「できる」は同一ではない、ということだ。願えば叶うということもない。

たいていの「計画」は、「したいこと」の分配・再配置である。そこには「すべきこと」も含まれているかもしれないが、そのすべてではない。だからこそ、それが「できる」とは限らない。

たとえば、私が一日の予定を「計画」したとする。

「まず朝7時に起きる。そこから3時間集中して原稿を書く。少し休憩して、読書と昼食の準備。30分ほど運動してから、再び原稿作業。お昼からは時間があるから、6時間みっちり原稿を書こう。日が暮れてからは、読書メモの作成と温めている次の本のアイデア出しだ」

見事な計画である。で、これが実行できるか。もちろん無理だ。

第一に、ここには想定していない行動が山ほどある。ゴミ出しにいかなければいけないし、買い物にもいかなければいけない。

第二に、世の中には突発的な出来事がある。電話がかかってきたり、突然の打ち合わせがスカイプで始まることもある。でも、それに合わせて一日時間が24時間から伸びたりはしない。

第三に、そもそも無理なことが含まれている。私の経験上「一日、9時間みっちり文章を書く」という行為は不可能である。たぶん脳の神経物質の代謝の速度の問題なのだろう。ともかく、それほど長くは書いていられない。でも、「計画」の中では、私は9時間の執筆をやすやすと成し遂げてしまっている。

一般的な計画の問題はここにある__わけではない。

こういうことは9割以上の人間の頭の中で起きていることだ。別に珍しくもなんともない。問題は、こうした無理難題が詰め込まれた「計画」が実行可能だと信じ切ってしまうことだ。

世の中には不思議なことに、こうした無理難題の計画を現実的方向に向けて修正するのではなく、むしろそれを達成してしまうノウハウ(成功法と呼ばれる)を求める人がいる。魔法のステッキを一振りすれば、自分が立てた「計画」が見事に達成できる、というわけだ。うん、ちょっと落ち着こうか。

「できる」を割り引く

できることはできる、できないことはできない。

何の変哲もないトートロジーである。でも、この認識は大切だ。

ノウハウによって、その境界線が大きく動くことはありえない。可能なのは、できることを少しずつ積み上げていき、経験を重ねて、できないことを少しずつ削り取っていくことぐらいだ。それ以外はすべて魔法のステッキである。

私はタスクシュートを使っていない。それで人生が破綻しているかというと、別にそういうわけでもない。

第一に、これまでつけてきた作業記録で、自分に反復継続可能な一日の作業量がだいたいどのくらいかわかっているからだ。そして第二に、そうしてある程度状況を把握していても、やっぱり「計画」が当て推量以上のものではないと理解もしている。だから、ぎゅうぎゅうにまで仕事を詰め込んだりはしない。やりたいことは山ほどあるが、それを泣く泣く捨てて、むしろ、できるかぎりバッファーを設けている。

「Twitterに入り浸る時間を激減させれば、もっともっと原稿が生み出せるのでは?」

一瞬それは確からしく思える。でも、現状でも一週間にかなりの文字数を書いているのだ。それ以上の上乗せは簡単なことではない。それに、空けてあるバッファーが突発的な原稿依頼にも対応する余裕を与えてくれる。

さいごに

計画とシミュレーションの対比というよりも、「バラ色の計画」と「灰色のシミュレーション」の対比というのが正確かもしれない。なぜなら世の中には、「灰色の計画」というのもきちんと存在するからだ。まあ、希少種かもしれないが。

もう一度書くが「Aがしたい、Bがしたい、Cがしたい」と思うのは自由である。ただし、それが実現可能かどうかはまた別の話だし、もし実現不可能であれば、どんなノウハウを持ってきてもやっぱりそれは実現不可能なのだ。少しくらいはマシになる、という程度は期待できるかもしれないが、それ以上ではない。

もちろん望ましいのは、「したい」と「できる」が一つになることである。ただしその道のりはたいへん険しい。True need never runs smooth.

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