7-本の紹介

【書評】超一流になるのは才能か努力か?(アンダース・エリクソン、ロバート・プール)

もちろん、そう。答えは分かりきっている。努力だ。

超一流になるのは才能か努力か? (文春e-book)
文藝春秋 (2016-08-05)
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マルコム・グラッドウェルが『天才! 成功する人々の法則』でぶち上げ、ジョフ・コルヴァンが『究極の鍛錬』で補足したように、圧倒的な成果を出す人々は、圧倒的なトレーニングをしている。以上。

天才! 成功する人々の法則
講談社 (2014-01-31)
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究極の鍛錬
究極の鍛錬

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サンマーク出版 (2015-01-30)
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脳の可塑性を考えてみれば当たり前のことだ。私たちはあらゆるものに慣れる。言い換えれば適応する。つまり、変化するのだ。技能においても、それは同じである。だから、鍛錬を積み、脳を変化させていけば、新しい技能が手に入る。超一流の人々は、そうしたことを欠かすことなく行っているから、その舞台に立てているのだ。これ以上もないほどシンプルな話だろう。

本書では、圧倒的な成果における遺伝子の貢献をおおよそ否定し、トレーニングの重要性を説いている。ただのトレーニングではない。「限界的練習」と呼ばれる常に高い負荷をかけるトレーニングだ。その「限界的練習」には、前段階ともいえる「目的のある練習」がある。以下の四つのポイントを持つトレーニングだ。

  1. 目的のある練習には、はっきりと定義された具体的目標がある
  2. 目的のある練習は集中して行う
  3. 目的のある練習にはフィードバックが不可欠
  4. 目的のある練習には、居心地の良い領域から飛び出すことが必要

これだけでもなかなかタフというかストイックな匂いが漂ってくるが、限界的練習はもう一段階難しい要求をしてくる。が、その詳細は本書に譲るとしよう。以上の四つのポイントだけでも、いくつか大切なことがわかる。

まず、何かを漠然と繰り返していても、私たちの技能が向上することはない。

皆さんは、ブラインドタッチができるだろうか。できるとして、それを何年続けているだろうか。はじめて練習したときはジワジワとでもタイピングのスピードが上がってきただろう。では、数年それを続けてその速度は向上しただろうか。まあ、そんなことはないだろう。ミスタイプの率も、ある程度タイピングに慣れた当時と変わっていないはずだ。

無意識にタイピングしているときは__つまり「aはどこかな〜」と意識的に探さずにそれを押せているときは__、一種のルーチン(ロボット)が働いている。まったくブラインドタッチができない状態から、できる状態に移行するということは、そのルーチン(ロボット)を脳内に確立する作業だとも言える。しかし、ひとたびそのルーチンができあがってしまえば、それ以降は脳は常にそのルーチンを走らせてことにあたる。そのような状況では、ルーチンの改善は見込めない。ただただ、ルーチンが繰り返し呼び出されるだけである。

ここで、折れ線グラフが思い浮かぶ。

私たちの脳は適応性があり、ある状況にそつなく適応しようとする。私たちは日常的に「日常」という状況に接しているのだから、私たちの脳は「日常」に適応するだろう。だから、「日常」に慣れない何かが侵入してきても、それに対処できる技能を身につけるようになる。折れ線グラフは右上に伸びていくのだ。

しかし、それは止まってしまう。しかも、かなり早い段階で止まるだろう。なぜなら「日常」が要求するものは、それほど過酷ではないからだ。「棒高跳びで130cm飛べるようにならないと、食料が確保できない」__ということはほとんどない。ブラインドタッチでミスタイプを連発しても、私が物書きとして失業することもない。だから、今のレベル以上になることはないわけだ。

脳は面倒くさがりやなので、必要がなければ能力は伸ばさない__という言い方もできるが、ようは適応の問題と捉えれば良い。必要なければ適応しない。簡単な話である。理に叶ってすらいる。だから、超一流と呼ばれる人たちは、ある種の「理」を捨てなければならない。「何もそんなにしなくても……」というところに自分の身を置く必要があるわけだ。そして、そこの環境から脳の適応を引き出して、新しい技能・高度な技能を身につける。そうして折れ線グラフを着実に右上へと伸ばしていくのだ。なんともまあ、過酷な人々であることよ。

とは言え、そこまで視野を高くしなくても、日常的な範囲においてもこの考え方は有効である。

ブログ記事を100個書いても、それをルーチン(ロボット)で処理してしまえば、文章力の向上は望めない。文章力の向上とは、表現できなかったものを表現できるようになるということであり、それは表現できないものを表現しようと鍛錬する中でしか生まれてこない。つまり、何もかもを「楽」で埋め尽くしている間は、技能の向上は発生しない。自分の限界に近づく「チャレンジ」が必要なのである。

本書では、技能の向上が「心的イメージ」を用いて説明されている。これは重要なことだ。ページをめくり、どれだけ知識を蓄えても、心的イメージが生成されなければ、技能の向上にはつながらない。文章読本と文章力の関係性と同じだ。だからそう、文章を書くことが必要なのである。目的ある練習を行うのだ。

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