先日、『会議のマネジメント』という本を読み終えて、パラパラと巻末をめくっていると、ふと気になるものが目に入った。中公新書の既刊本の紹介だ。文庫や新書でよく見かけるあれである。
もちろん、今までだって何度も目にしているはずなのだが、最近雑誌づくりをしているので紙面構成についてのアンテナ感度が高まっているのだろう。ともかく、ふ〜ん、という感じで気になったのだ。
ブック・リンク
既刊については、二種類ある。一つは、巻末のページに並んでいるリストで、そこには「情報・コミュニケーション」や「科学・技術」といった分類名がくっついている。もう一つは、裏表紙のカバー裏で、そこには特に説明はない。
これらは、いったいどういう役割を担っているのだろうか。
たとえば、川喜田二郎氏の『発想法』をめくってみる。
- 知的戦略・実用
- 情報・コミュニケーション
・既刊より
『続・発想法』
『発想の論理』
『野外科学の方法』
『コミュニケーション技術』
『「超」整理法』
『続「超」整理法・時間編』
『会議の技法』
ははぁ、とおぼろげながら見えてくる。前者は、その本の内容を仮に分類するとして、それに近しい分類が並べられているのだろう。対して、後者はより内容的近接性がある本のタイトル、といった感じがする。
とりあえずは、分類を確認してみよう。中公新書のサイトから目録がダウンロードできるのでそこからリストアップしてみた。
中公新書分類
哲学・思想
宗教・倫理
心理・精神医学
日本史
世界史
現代史
経済・経営
政治・法律
言語・文学・エッセイ
芸術
社会・生活
教育・家庭
知的戦略・実用
情報・コミュニケーション
科学・技術
医学・医療
環境・副詞
自然・生物
地域・文化・紀行
19の項目がある。日本十進分類表とは少し違うようだ。あるいはそれをもう少し実用的に細分化したものと言えるかもしれない。個人的に気になったのは、「情報・コミュニケーション」と「知的戦略・実用」である。特に、「知的戦略」という言葉遣いがいい。
「知的生産」や「知的生活」は__岩波や講談社の顔が浮かんで__使いづらいだろうし、それに「戦略」という言葉の響きはもっと目つきが鋭い印象がある。細い眼鏡をかけて総大将の隣に座りながら、「それはですね……」と小さい、でもよく通る声で謀略を説明するような印象である。
と、しょーもない言葉の擬人化は置いておくとして、「戦略」というのは概して知的なものであろうから、ようするにこれは「知的な」ものに関する戦略ということで、ようは知的生産の技術を指しているのだろう。
ということも踏まえて、いくつか手持ちの中公新書をパラパラとめくってみる。
『発想法』(以下書名リンクはすべてAmazonページ)
- 知的戦略・実用
- 情報・コミュニケーション
・既刊より
『続・発想法』
『発想の論理』
『野外科学の方法』
『コミュニケーション技術』
『「超」整理法』
『続「超」整理法・時間編』
『会議の技法』
『「超」文章法』
- 社会・教育 1
- 社会・教育 2
・既刊より
『詭弁論理学』
『理科系の作文技術』
『「超」整理法』
『センスある日本語表現のために』
『続「超」整理法・時間編』
『「超」整理法3』
『英語達人列伝』
『理科系の作文技術』
- 知的戦略・実用
- 情報・コミュニケーション
- 科学・技術
- 自然・生物
・既刊より
『発想法』
『続・発想法』
『詭弁論理学』
『数学受験術指南』
『「超」文章法』
『知性の織りなす数学美』
『数学する精神』
『続・発想法』
- 知的戦略・実用
- 地域・文化・紀行
・既刊より
『人間関係』
『発想法』
『コミュニケーション技術』
『「超」整理法』
『会議の技法』
『「超」文章法』
『レポートの作り方』
『ロラン・バルト』
- 哲学・思想
- 世界史
- 現代史
- 芸術
・既刊より
『現代哲学の名著』
『フランス的思考』
『動物に魂はあるのか』
『物語 哲学の歴史』
『ハンナ・アーレント』
『フランクフルト学派』
『フランス現代思想史』
並べるだけで面白い。たとえば、『発想法』と『続・発想法』では、提示される分類名が違っている。「知的戦略・実用」は共通しているが、前者は「情報・コミュニケーション」で、後者は「地域・文化・紀行」となっている。
単純に「続」を買う人は、その前のも買っているだろうから、アクセントをつけただけ、という風にも捉えられるが、実際に「続」に目を通すとこの配慮がじんわりわかってくる。
「続」に関しては、著者の「実践例」が多数登場し、その内容が「地域・文化・紀行」的なのだ。つまり、研究に使う手法ではなく、その研究の内容に重きをおいて分類が選択されているように見える。これは本のコンテンツを十分に理解した上でのコンテキストの選択であり、こういう微妙な配慮の聞いた仕事は実に小気味が良い。
他には、「既刊より」に何度も登場する本は、名著である可能性が高い、ということも推測できる(『「超」整理法』は読んだ方が良さそうな気がプンプンしてくる)。「既刊より」は、その本の内容に関係する本であり、複数の本の「既刊より」に登場するということは、紹介されている本が広い射程を有していることを意味している。
もちろん、言うまでもなく、これらのリストは分類であれ「既刊より」であれ、良質なブックガイド(あるいは堅実なブッグガイド)となってくれる。本というのは、パッケージされたコンテンツではあるものの、それが孤立していることはほとんどない。著者が意識するしないに関わらずコンテキストを持っているのだ。そして、適切なコンテキストに沿って本を読むのは、豪快に波乗りするくらい気持ちの良いものである。
「データベースのリンクを確認しました」
ただし、このブッグガイドは中公新書内に閉じてしまっている。販促手段なのだから当然であるし、自社の本であるからこそ(自分たちで作っているからこそ)、内容に即したレコメンドが可能とは言え、本好きとしては少し物足りない。
仮にこれをレコメンドを実現するデーターベース__本の情報と関連する本の情報が管理されているデータベース__だと捉えるならば、複数のデーターベースをリンクさせるのが望ましい。中公新書内にある、『発想法』とそれに関する本の情報と、岩波新書内にある(はずの)『知的生産の技術』とそれに関する本の情報がリンクすれば、実に豊かなブックコンテキストが生まれるだろう。もしそんなものが生まれたら、私は一日中それをクリックして遊び回る自信がある。
そのようなブックコンテキストを、「購入履歴」による集合知という方向からAmazonは実現しようとしているが、実際あまりうまくいっているとは言いがたい。まったく的を外しているとまでは言わないが、中公新書の既刊本の案内に比べると、力不足感はどうしても残る。
なぜなら、「買う」ことと「読む」ことは直結していないからだ。もっと言えば「読む」ことと「理解する」こともスムーズには直結しない。その辺に限界があるのだろう。
さいごに
というわけで、コツコツとブックコンテキストを育てているのがHonkureである。あと1年もすれば半日くらいはクリックして遊び回れるサイトになる__はずである。
本の売上げをアップさせるアプローチはいろいろあるはずだが、本を読まない人に本を読ませようとするのは慣性の法則的になかなか難しいものがある。摩擦をこえるほどの力を加えなければいけない。だったら、すでに本を読む人が、スムーズに次の本を探せるような仕組みを、豪快に快適に気持ちよく波乗りできる仕組みを作るアプローチが良いのではないかと思う。
3年後に読んでも面白い本を、3年後にもちゃんと探せるような、そんな仕組みを。