0-知的生産の技術

KJ法によくある勘違い あるいは真なるボトムアップについて

・KJ法はカードにすべてを書くわけではない
・KJ法はカードのすべての組み合わせを試すわけではい
・KJ法は「分類」ではない


・KJ法はカードにすべてを書くわけではない
 カードに書くのは「見出し」だけ
・KJ法はカードのすべての組み合わせを試すわけではい
 「近しい」カードを集めていく
・KJ法は「分類」ではない
 むしろカップリング


KJ法において、カードに書くのは「見出し」です。情報のすべてを記述するわけではありません。カードに記述される「見出し」は、ようするに概念(コンセプト)のラベルであり、それをひと言でまとめるには結構な技術が必要です。

また、KJ法は1つのカードに対して、他のすべてのカードとの組み合わせを機械的に試していくようなことはしません。カード全体を眺め、「近しい」と思うカードを近くに寄せる(→グループを作る)ことをしていくだけです。

ここでは行われているのは、いわゆる機械的な操作ではなく、むしろ極めて直感的な操作です。なにしろ、「近しい」と思うのは、その人の感性なのですから。よって、同じカードを用いても、人によってはまったく違うグループが形成される可能性は十分あります。人はそれを個性と呼びます。

ちなみに、上記二つの要素は呼応しています。つまり、カード全体を眺めたときの一覧性を高めるために、カードには「見出し」しか書かないわけです。細かい要素まできっちり読み込まないと、その概念(コンセプト)が想起できないようでは、直感による組み合わせを作り出すのは難しくなります。

「分類」しないKJ法

上記のやり方を遵守する限り、KJ法は「分類」にはなりません。つまり、カード全体を眺めてから、「○○に関する要素を集めよう」とはならないわけです。

「○○に関する要素を集めよう」という操作は、キーワードを用いた機械的な選別です。そこには、「近しい」と思うものを見つける直感的な操作はまるで含まれていません。その人の感性が入り込む余地が非常に小さいのです。

そこで行われていることは、あらかじめ存在している「分類項目」に、並べられているカードを配置しているにすぎません。

私はそれを「ボトムアップに見せかけた中途半端なトップダウン」と呼ぶことにしています。つまり、一つひとつの要素をカードに書き、それらを使って全体像を作り上げていく、という姿勢においてはボトムアップであるものの、そのまとめ方が(まとめ方の最初の一歩が)トップダウンなのです。下からの視点ではなく、むしろ中腰くらいからの視点でアプローチしてしまっているのです。

この二つ、つまり「KJ法的ボトムアップ」と、「ボトムアップに見せかけた中途半端なトップダウン」との違いは、実際にやっているときには案外に気がつきにくいものです。しかし、この二つから生み出されるものはまるで違います。前者は創造的・刺激的・挑戦的・アンチ規格的・アウトサイダー的になりますが、後者はたったひと言で言い表せます。退屈なのです。

さいごに

別にKJ法に信仰心を持っているわけではありません。単に「真なるボトムアップ」に潜む創造性と難しさに思いを馳せているだけです。

私たちは、ついつい「分類」してしまう、という心理の癖を持っています。使い慣れたその道具は、何かしらを「考える」ときに、頻繁に顔を覗かせます。ボトムアップ的アプローチは、その癖に変化を与える(あるいは変化を強要する)ものと言えるかもしれません。

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