情報カードである。
100枚の情報カードである。
厚みを比較すると、こうなる。
広げるとこうだ。
もちろん、広げきれるわけもない。
独特な、非常に独特な情報圧がここにはある。とにもかくにも重いのだ。
いろいろな意味で。
カードとカード
2016年12月21日から、「断片からの創造」というテーマで情報カードを書くようにしてきた。一日一枚程度、日曜日は休んでいたし、抜けている日もあったので、一ヶ月に25日程度の稼働。そこから四ヶ月ほどで計100枚。それが現状だ。
最初の一枚はこれである。
そう、すべての情報カードはEvernoteにも保存してある。それを「展開したカードビュー」で表示するとこうなる。
壮観ではある。しかし、物質としての情報カードほどの情報圧があるかと問われれば、答えはノーだ。あくまでバックアップだという印象はぬぐえない。
やはり物的なカードは、代えようのない機能を有している。ただし、それが必要な機能なのかは現段階では判然とはしていない。
カードに関する不安
これだけカードが集まり、また、これだけ時間が経過すると、もう頭のころに書いたカードのことはまったく覚えていない。もちろん、だからこそ私たちはカードを書くのだ。失われそうになる記憶を、後の自分に伝承するために。まるで魔導士が己の技術体系をグリモアに刻むかのように────
さて、問題はここからである。
まず第一に、カードの作成はこれで終わりではない。私は2000枚、ないし1000枚程度の情報カードの集合体を目指してこの試みを始めた。仮に到着点を1000枚と定めても、まだ一合目である。それでこれだけの重み──物理的にも情報的にも──があるのだ。はたしてこのままでやっていけるのだろうか。そもそも、1000枚も書けるのだろうか、書くべきなのだろうか。そういう心配がある。
第二に、これらのカードを使って、どのように本を書けばいいのかがまったくわかっていない。もともとこの試みは「情報カードに書き貯めてから、本を書くことは可能だろうか」の実験としてスタートしたのだが、とりあえず100枚書いてみた段階では、「どうやって本を書いていいのか」はまったくわからない。カードが増えてくるうちに徐々にそれが見えてくるのか、むしろ混乱が深まっていくのかすらわからない。これはこれで不安である。
総合的には、「このまま進めていいのか、ここで一旦立ち止まって考えるべきなのか」というところで悩んでいる、と言えるだろう。
さいごに
とは言え、一つの安心材料は、ここに情報の束がしっかりある、ということだろう。
一カード350文字として、3万5000文字にも及ぶ1テーマに関する情報がすでに私の手の中にある。それを一日5分の作業を4ヶ月続けることで手にしたのだ。一年間それを続けたら、(少なくとも文字数だけで言えば)本一冊分になるだろう。こういうやり方は、わりとアリだと思う。自分の引き出しに入れておきたい。
あとは、これらのカードをいかに使うのか、という話である。これを複製して、皆さんに500円くらいで買ってもらえれば、著者としては楽なのだが、さすがにそれは手抜きと怒られるだろう。そもそも、Googleフォトを使って、(ほとんど全部の)カードは公開されている。
つまり、これらの情報素は、(著作権は私にあるにしても)共有材の一種なのだ。あとは、それをいかにとりまとめるかに私の手腕と価値観が問われている、と言えるだろう。お金を払う価値もそこに生まれるのではないだろうか。
とは言え、カードのまとめ方についてはぜんぜんわかっていないので、とりあえずは刻んできた100枚のカードを読み返すところから始めようと思う。もちろんそれは5分では済まないだろうが。