アイデアタイムラインが二つあると、自由に動かせた

以前の記事で、アイデアを整理するために〈じわじわ型〉と〈祭り型〉の二つの方法があると書いた。

アイデアの捨て方 〜Evernote編〜 – R-style
アイデアの捨て方 〜アウトライナー編〜 – R-style

私は基本、というか徹頭徹尾Evernoteに情報を集める生き方をしているので、アイデアに関するノートもEvernoteに集約されているのだが、食料品コーナーで見本的につまようじが刺してあるソーセージみたいな感じでWorkFlowyにもアイデアが書き留めてあって、しかもそれらは、折々に思いつきで入れてあるものだから、階層構造が混乱しきっているという状況があった。

まず、それを整理した。

WorkSpaceは、現在進行中の案件を扱うもの。今の私でいえば、かーそる第二号用の原稿用の構成案などが入っている。こちらは極めて数が少ない。

▶️incubatorは、アイデアを入れるものだ。『アウトライナー実践入門』で示されているように、基本的に二階層(タイトル+本文)の形で、ただただフラットにアイデアが入れてある。

これがまあ、とんでもなく縦に長い。

以前の記事で書いた、余りに多い項目を途中一切の再生産を挟むことなく、一気に大きな再生産を行おうとするときの弊害がうかがい知れるだろう。このアウトラインの、上の方と、真ん中の方と、下の方に項目が散らばっていたら、実に悲惨なことになる。

しかし、である。

実際にこれくらい長い、かつフラットなアウトラインを作ってみて実感したのは、たとえ長くても、それを「一気に」再生産しようとしなければ、それほど苦は無い、ということだ。たとえば、今日は項目2つくらいを近づける。明日はその中身をちらっと書く、みたいな処理であれば、実に簡単である。でもって、アウトライナーというツールは、そういう細かい作業を心理的に促進してくれる。「まあ、まあ、落ち着いていきましょか」という気分にさせてくれるのだ。

だから、時間がないときは溜めるだけ溜めておいて、週末にちょこちょことアウトラインをいじる(≒再生産する)というやり方でも運用していけるだろう。注意すべきは、それを「一気に」片付けようとするときだけである。

が、今回の本題はここにはない。アイデアタイムラインの多重性がもたらすメリットについてだ。

最初の挫折とその理由

上記のようなことを、以前の私もやろうとしていた。つまり、WorkFlowyにアイデアを溜めて、それをちょこちょこ再生産するやり方を試みようとしていたのだ。「Word Piece」の熱心な読者なら、誰しも一度は試そうとするのではないだろうか。

しかし、そのときはうまくいかなかった。うまくはいえないが、ちょこちょこといじることができない。何かもやもやした感じが残る。たぶん、ツールとの相性の問題だろうと私は思った。結局の所、ツールの個性と私の個性がうまく呼応しないと、道具というのはなかなか使えないものなのである。

が、今回は上記のアウトラインを作ってみて、実にスムーズにことが進んだ。むしろ、それを触るのが楽しくすらあった。この違いは何だろうか。歳を取ったらいつのまにかトマトが食べられるようになっていた、というような経年による私側の個性の変化であろうか。おそらくは違うだろう。

二つ理由があるように思う。一つは、中途半端な増改築を繰り返したせいで、構造が複雑化してしまっていたこと。そのような複雑な階層構造を把握するためには、認知資源が要求される。でもって、そういう状況は認知操作にはあまり適さない。今回ほとんど完全にフラットにしたことで、それが緩和された可能性がある。が、こちらはどちらかといえば補佐的な理由だ。

メインの理由は、恐怖である。今回WorkFlowyでのアウトラインを整理してみて、それを痛切に感じた。

私は普段Evernoteにアイデアを書き留めているので、上記のようにWorkFlowyにもアイデアを集める場合、当然のようにEvernoteからそれらをコピーしてくることになる。もちろん、コピーしたからといってEvernote側のそれを消すことはない(そんなことはありえない)。

つまり、私の手元には二つのアイデアタイムラインができたことになる。Evernoteのノートによるアイデアタイムタインと、WorkFlowyの項目によるアイデアタイムライン。これはなんというのだろうか、実体と参照の関係に近い。簡単に言えば、どれだけWorkFlowy上で項目を動かしても、Evernoteの方には一切影響が無いのだ。そのことが、私の恐怖感を和らげてくれた。

WorkFlowy上で、項目を動かす、あるいは階層をいじる、ということをすると、かなり高い確率で元の状態に戻すことはできない(実際は毎回スナップショットを残すことで可能になるが、細かい話はさておく)。アイデアの断片がどこかに組み込まれてしまうと、元いた場所への帰り道を見失ってしまうのだ。私は、それに恐怖を覚えていた。

もともと断片が持っていた複数の利用可能性が、その時点で限定されてしまう。豊かな文脈が削がれてしまう、というようなほとんど思い込みに近い感覚があったわけである。だから、あまりアウトラインを触りたくなかったのだ。

Evernoteの場合、マージ機能があまりにも貧弱なため(というかデザインがクールではないため)、ノート同士を直接融合させることはない。せいぜい、片方のノートの内容をコピーして、もう片方のノートに貼り付けるくらいである。その場合でも、意図的に削除しない限りは、もとのノートは残る。

さらに、Evernoteではノート表示の順番の任意で入れ替えられない上に、どれだけ編集しても作成日時というタイムスタンプ的刻印が刻まれている。そのことが、私に対しての安心感をもたらしていたのだし、おそらくそれが「細かくアイデアを操作すること」を阻害もしていたのだろう。

アナログノートに書き付けるときの、ある種の安心感はここにある。記述の順列は、私の情報操作にかかわらず決して変わらない。有用な証拠を挙げることはできないが、これは認知的に大きな意味を持っている気がする。固定されているものが、どこかにあるというのは、安心感をもたらしてくれるのだ。

さいごに

とは言え、これは簡単に敷衍できることでもない。

おそらく私は、長い間Evernoteを使い続けることで、Evernoteに適した認知構造を獲得してしまったのだろう。だから、固定されるものが何もない、流動的なものにアイデアをすべて託することが怖く感じられてしまうのだ。そもそもそれが当たり前、という状況であれば何の恐怖も感じないかもしれない。

ともあれ、アイデアタイムラインを二つ持つのは、面白い試みかもしれない。アナログ時代では推奨されないばかりか嘲笑されていただろうが、デジタルツールはコピー容易性が特性でもある。それを最大限活かす方法論があってもよいだろう。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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