GTDと〈やるべき症候群〉

GTDで、「気になること」を書き出していく、あるいは頭に浮かんだ「気になること」をinboxに入れる。そして、それを処理する。有名なワークフローだ。

「それは何か?」
「行動を起こす必要があるか?」
「次のアクションが複数ある?」
「次のアクションは?」
「2分以内でできる?」
「自分でやるべき?」
「後でやる?」

一つひとつの自問を経て、「気になること」を適切なリストへと落とし込んでいく。

  • ゴミ箱
  • いつかやる/たぶんやる
  • 「資料」フォルダ
  • プロジェクトリスト
  • 連絡待ちリスト
  • カレンダー
  • 次にとるべきアクションリスト

上から落とされたコインが、その大きさで適切なコインケースに振り分けられるコインソーターみたいに、頭に浮かんだ「気になること」が適切なリストに振り分けられ、私たちは(暫定的に)「気になること」から解放される。ストレスフリーの到来である。

このidealなワークフローの流れには、realisticな落とし穴がある。自問の難易度だ。

「次のアクションが複数ある?」
「次のアクションは?」
「2分以内でできる?」

この三つは比較的簡単である。直感的に答えられる。しかし、以下の四つはどうだろうか。

「それは何か?」
「行動を起こす必要があるか?」
「自分でやるべき?」
「後でやる?」

GTDでは、これらが四則演算みたいにするりと答えられるかのように前提が置かれている。でも、本当にそうだろうか。もし、そうでないとしたら、どうなるだろうか。なにせ前提が間違っているのだ。破綻は待ったなしだろう。そして、実際にだいたいそうなるのだ。

たとえば、「後でやる?」にYesと答えたら、それは〈カレンダー〉に記入され、Noと答えたら、それは〈次にとるべきアクションリスト〉に記入される。多くの人はこれを間違えてしまう。どう考えても今(直後)には実行できないものも、〈次にとるべきアクションリスト〉に加えてしまうのだ。結果、〈次にとるべきアクションリスト〉は膨れあがる上に、そのリストを見ても、実際の行動が選べなくなる。なぜなら、そこには「異物」が混じっているからだ。言い換えれば、そのリストは〈次にとるべきアクションリスト〉にはなっていないない。
※これを是正しようというのが〈マニャーナの法則〉である。

『タスク管理の用語集』では、これを戒めるための指針として〈混ぜるな危険〉という標語を持ち出した。こうした標語がある、ということは、逆に言えば、人はついついリストを混ぜてしまう、ということでもある。

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他にもある。「自分でやるべき?」という問いに答えるのが難しいのは、「なんでも自分でやってしまう病」という有能な人が罹患しやすい病気からもわかる。この病気にかかっている人がGTDを行えばどうなるだろうか。当然〈次にとるべきアクションリスト〉は膨れあがるだろう。そして、処理切れないままリストに押しつぶされていく。

パーフェクトなGTDでは、こうしたことが起きないかのように語られている(標準的な経済学のようだ)。たしかに、そういうことが一切起きず、本当に自分がやるべきことに対してだけ、「自分でやるべき?」にYesを返せるなら、GTDは素晴らしい結果をもたらすだろう。しかし、人間の判断は行動経済学的なバイアスに晒されている。そして、そのバイアスがリストを肥大化させ、異物を混入させることになる。

まだある。「行動を起こす必要があるか?」も、答えるのが難しい問いだ。「もっと英文がスラスラ読めるようになりたいな」という「気になること」があったとしよう。はたしてそれは、行動を起こす必要があることだろうか。

たしかに、英語がスラスラ読めれば、私の文献漁りの範囲も拡大する。しかし、それを勉強する代わりに、簿記を勉強してもいいし、ラテン語を勉強してもいい。なんなら、どこかの大学院に入るための勉強をしてもいい。そういう「してもいいこと」は山のようにある。その中で、何を選ぶのかは、どうして決定したらいいのだろうか。

GTDでは、それがきちんと答えられることが仮説されている。しかし、少なくとも私は、それにきちんと答えられない。何を〈プロジェクトリスト〉に入れるべきなのか、何を〈いつかやる/たぶんやるリスト〉に入れるべきなのかは、明確ではない上に、時間と共に変化することだって考えられる。

GTDをやりはじめたばかりの私は、ものすごい勢いで、さまざまなものを〈プロジェクトリスト〉に入れてしまっていた。一週間が21日になって、やっと触れるかもしれない……くらいの量がそこに入っていたと思う。たぶん、多くの人が似たような症状に陥ったことがあるのではないだろうか。

おそらく私は、間違った(あるいは幼稚な)GTDの運用をしてしまっていたのだろう。自問への答えが間違っていたのだ。しかし、その答えが間違っていることは、運用がうまく回らない、という結果からしかフィードバックされない。挫折しないと、わからない答えなのだ。

バイアスを前提とした方法論

行動経済学的な知見から言って、人はときどき愚かしい決定をする。また、自分の能力についても過大評価しがちである。

  • 「やるべきだ」と思うことを多く持ちすぎ
  • 実際にできること以上のことをできると思い込む

現代的な個人への要請(もっと多く、もっと早く)の影響もあるだろうが、上記のようなバイアスもあって、普通にGTDを実行すると、かなりの程度〈プロジェクトリスト〉と〈次にとるべきアクションリスト〉が肥大化する。バイアスがなくても、その数は多くなるだろうが、それ以上に、言い換えれば、個人の処理キャパシティーを遙かに超えたものをリストに書き加えてしまう。その時点で、それぞれのリストは、その意義を消失する。異物が混ざり込み、リスト同一性アイデンティティーは崩れ去る。

言い換えよう。人間には、どこかしら、「すべきだ」と感じたものを「すべきこと」として扱ってしまう傾向があるのだ。まるで触れたものをすべて黄金に変えてしまうミダース王のようではないか。これを〈やるべき症候群シンドローム〉と呼ぶことにしよう。これが現代の先進国に特有な傾向なのか、それとも人類の普遍的な傾向なのかはわからない。

想像するに、原初の人類はそれほど行動に選択肢がなかったので、「すべき」と感じたものと「すべきこと」の乖離には悩まなかったのかもしれない。社会が豊になり、個人にさまざまな行動の扉が開かれたことで顕在化してきた問題だとも言えよう。

ともかくとして、私はタスク管理全般において、人間は〈やるべき症候群〉を持つ、ということを前提に据えたいと思う。どう考えても、それがrealisticな状態だからだ。少なくとも、100人集めれば、80人くらいはこの傾向を持つのではないだろうか。つまり、80人くらいはGTDをそのままやっても、どこかで破綻するということだ。しかし、それはGTDが欠落したシステムであることを意味しない。それは、いくら市場システムが問題を起こしても、市場システムそのものが欠陥品だ、ということにはならない、というのと同じである。

ついでに言えば、私が『タスク管理の用語集』の次の本で展開したいのも、こういう話である。なので申し訳ないが、議論の前提となる各種の言葉は『タスク管理の用語集』で確認していただけると助かる。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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