つんどく上等宣言

ここに「つんどく上等」を高らかに宣言する。

「つんどく上等」とは、買った本が積みっぱなしになっていても、気にしないでおこう、などといった軟弱な姿勢ではない。それはむしろ、つんどくをより積極的に肯定していこうという力強い姿勢であり、本宣言はその決意表明である。

つんどくは、決して忌み嫌われる行為でも、恥ずかしくて隠してしまいたくなる行為でもない。それは、書籍文化に対する一種の敬意であり、寄与であり、投資であり、感謝なのだ。

さあ、同士たちよ、胸を張ってつんどくしようではないか。

つんどくは上等である。
つんどくは上等である。
つんどくは上等である。

……

と、別に暑さで頭がやられたわけではありません(たぶん)。つんどくって、結構いいことだよな〜、と思った次第です。

ある日、未読本の情報が入っているEvernoteの「知的欲望」ノートブックを見ていて、思ったのです。現状そのノートブックには160程度のノートがあり、単純に計算すれば160冊くらいの未読本、つまりつんどく本があることになります。これが多いのか少ないのかはわかりませんし、仮に多いとしても、私はこの数を減らしたいとも思いません。

しかし、一方でちょっと思考実験をしたくなりました。仮に私が、この数を減らしたいと思ったとしたらどうなるだろうか。つまり、つんどく本を減らしていき、購入本と読了本の比率を限りなく1:1に近づけていったとしたら、どうなるか、と。その考えは、容易に敷衍します。つまり、私と同じように比較的読書を好む人間が、つんどく本をゼロにしてしまったら。

ごくごく単純に考えて、それは私の書籍購入量が減少することを意味するでしょう。読める分だけの本を買う、ということはまさにそういうことを意味します。現状の具体的な数字で言えば、160冊あまりの本を「買わなかった」ことになります。で、それが日本全国の読書家に対して起きたら……。それは、日本全体の書籍の売上げにダメージを与えることでしょう。なにせ、一年間どころか生涯で160冊も本を買わない、という人もいるくらいです。

もちろん、だからといって出版業界に致命的なダメージが発生するとは思いません。私の未読本は160冊程度だとしても、読了本はたぶん2000〜2500冊くらいなので、の書籍購入金額全体からみれば、8%程度のものです。せいぜい消費税分です。

でも、たとえそうではあっても、私が買うその一冊が、1000部刷られた本の一冊かもしれませんし、私の購入によって重版のジャッジメントが動くことがあるかもしれません。本を「買う」ことは決して無意味な行為ではないのです。紙の本なら重版や次回作のジャッジメントに、ダウンロード販売なら著者への直接的な収入に影響を与えます。

もちろん、書き手の立場から言えば、買ってもらうだけでなく、読んでもらえた方が嬉しいことは間違いありません。そもそも、本は読んでもらうために書いているのですから、読んでもらってナンボ、ということはあるでしょう。が、それはそれとして、買ってもらえることに嬉しさがないのかと言えば、それはやっぱりあるわけです。

それに、本のある一カ所だけが必要だから買う、という行為がアリならば、本の表紙を眺めるためとか、本棚に置いておくために買う、というのだって別段アリではないでしょうか。少々『読んでいない本について堂々と語る方法(』みたいな考え方ですが、それだって本の利用方法ではあるでしょう。

そう考えれば、「読むと思うから買う」という行為(必然的にそれは読まないかもしれない、という可能性を含む)は、それだけで著者への貢献になりますし、また、そういう購買の積み重ねは、出版業界への一種の寄付というか、投資というか、一種のチップ的なものに位置づけられるかもしれません。

以上長々と書いてきたのは、結局、自分がつんどくになりそうな匂いがする本と直面したときに、堂々とその本を買うための開き直りなのだ、ということは一つ書いておきましょう。

でもまあ、つんどくは別に悪いことではないと思います。「読むかもしれない本を買う」というのは可能性との戯れであり、その遊びというか余白みたいなものが、生み出す何かもきっとあることでしょう。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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