『知的生産技術大全』の現代的意義試案

仮に『知的生産技術大全』という本を書くとして、その現代的な意義はどこにあるのだろうか。

先日の記事にも書いたように、発想法はクリエーターのためだけの技法ではなく、問題解決のための新しい視点を提供してくれる技法でもある。それはつまり、広く使われる可能性を有しているということだ。そのような技法たちが、大全の形で現代で新しく提供されることには意義があるだろう。

では、「知的生産技術」に同じことが言えるだろうか。

無論、「発想法」は「知的生産技術」の一技法であり、発想法に意義があるのならそれを内包する知的生産技術にも意義がある、という言い方はできるだろう。が、もう少し精緻に考える必要があるだろう。でないと、「好きな人は好きだけどね」みたいなところで終わってしまう懸念が出てくる。

誰ガ為の知的生産技術

まず、「クリエーターのための知的生産技術」というのなら、これは何の補足も必要ない。まさにそれはクリエーターのための、つまり新しい情報を生み出す人たちのための技術だからだ。よって、その文脈の延長線上にある「ブロガーのための知的生産術」というのは改めて意義を確認しなくても成り立つ。これはこれで一つのコンテンツの切り口であろうが、若干狭さが残る点は否めない。

では、日常生活でクリエイションに関わっていない人はどうだろうか。ここで社会の情報化に目を向ける。

多かれ少なかれ、現代社会で生きていて情報と無縁ではいられないだろう。インターネットとスマートフォンはその傾向をより強めている。受信者と発信者の境目はとっくの昔に形骸化してしまった。そして、「知的生産技術」とは「情報を扱う技術」である。

この話を組み合わせると、「知的生産技術」は、現代社会をよりよく生きる技術としても再定義できるかもしれない。その際は、デジタルツールをベースにすることで、改めて新しい意義を提出できるだろう(言い換えれば、すでに古典となりつつある本との差別化になるだろう)。

あるいは、これまでの「知的生産技術」が、比較的シニアを対象としていたことを意識して、若い世代、たとえば高校生向けにそれを語るというアプローチもありそうだ。それもまた、一つの意義を提出できる可能性がある。

別の切り口

単純に、それを「楽しい行為」として捉え直すのはどうだろうか。なにしろ「読む・書く・考える」という行為は楽しいのである(無論苦難もある)。

「楽しい知的生産」あるいは「生活に豊かさを取り戻す知的生産」は、たしかに魅力的な切り口であるが、出版企画として見た場合、どれくらいインパクトがあるかというと、なかなか難しい。それこそ「好きな人は好きだけどね」で終わってしまう可能性がある。

でも、だからこそイノベーションの芽が眠っている可能性もある。一応これは保留しておきたい。

あるいはその路線を、さらにビビッドにアレンジして「普通の人のための知的生産」みたいな方向はどうだろうか。さすがに、地味すぎてだめかもしれない。

なかなか、切り口のバランスというのは難しいものである。

さいごに

ようするに、「はい、知的生産の技術をまとめましたよ」というだけでは、企画案としてはまず成立しない、ということだ。そこにはやはり、その本なりの意義が、しかも現代的な意義があった方がいい。

とは言え、これまで書いてきたように「知的生産技術」は「情報を扱う技術」でもあるので、それをまとめた『知的生産技術大全』的なものは、案外掘り起こされていない現代的な意義を有しているように感じる。

これまで私は、特定のツール(主にEvernote)に結びつけてそれらを紹介してきたのだが、その結びつけを一度解きほぐし、もっと全体的な視点でそれらを紹介してみることで、新しいところまでリーチできるかもしれない。

ともあれ、まだまだブラッシュアップが必要であろうから、引き続き考えてみたい。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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