オプション性のある応援についての断章

反脆弱性』の中で、タレブはオプション性の強力さを語った。

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知り合いにパーティーに誘われる。「今日予定ある? もしよかったらパーティーに来てよ」「行けたら行くよ」このとき、私はオプションを手にしたことになる。もし他に魅力的な予定があればそちらにいけばいいし、そうでなければパーティーに行けばいい。

「パーティーに来ないか?」という提案は、私の行動の選択肢を増やし、リスクを小さくして、リターンの可能性を上げてくれる。

ポジティブな逆張り

“「いいじゃないいいじゃない」ととにかくポジティブ方向に逆張りする人”。そういう人たちが行う行為は、一般的に「応援」と呼ばれる。

応援すると、まず自分自身が良いことをしている気持ちになれるし、しかも応援先の人間が成功すれば自分の喜びもひとしおである。しかも、応援先の人間が失敗しても、自分には何のリスクもない。

最高のオプション性ではないか。

身銭

タレブは、「身銭を切らない人間」すなわち、他人にリスクを背負わせて自分だけオプション性からリターンを引き出す人間を忌み嫌っている。

私も同感だ。

応援するだけなら

『「目標」の研究』で「ドリームキラー」について書いた。

「目標」の研究
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応援することは素晴らしい。しかし、応援することだけなら誰にでもできる。特に身銭を切らない応援ならなおさらである。

応援する対象が、批判されていたとする。そのとき、その批判者を批判し、排除しようとするならば、結局自分の「応援している」という気持ちを害されたことに怒っているだけではないのか、と自問してみる必要はあるだろう。なぜなら、批判者から出てくる批判は、うまく使えば実行の改善や推進に役立つかもしれないからだ。

優れた著者は、批判の声にもきちんと耳を傾ける。なぜなら、常にもっと良いものを作り出したいと切望しているからだ。そのためのフィードバックは貪欲に活用する。自分から情報を切り落とすなんて望んでない。

もし、それを望んでいるとすれば、つまりはどういうことだろうか?

応援するなら

私は、読み物系ブログを書いているブロガーさんには、わりとホイホイと「電子書籍書かないの? 書きましょうよ!」と口にする。応援ないしアジテーションである。

一方で、私はそういう人たちが実際に電子書籍作りに取り組むのなら、きちんと助力する。というか、実際にしてきた。原稿の下読みやら構成やらについて、自分のできる範囲内で協力しているし、そうやって生まれた本もすでにある。もちろんロハである。つまり、(時給という形で)私は身銭を切っている。

逆に言えば、自分が身銭を切らないようなことについて、安易に応援したりはしない。だってそれは、無責任なことだから。

有限の人間存在は、すべてのことについて責任を負えたりはしない。しかし、何に責任を負おうとするかは選択できる。それを人は意志と呼ぶ。

応援する気持ちを持つことは大切だ。しかし、応援の中にある甘美さ・快楽性を見据えるならば、そこに身銭を切る感覚を添えることで暴走しないようにはしておきたい。そんな風に感じる。

もう一度言う。応援することはとても大切であり。良いことであり、崇高ですらある。しかし、だからこそ、気をつけたい。「応援しているんだから何だってよいだろう」には、「正義のためになら何をしたってかまわない」と、ほとんど同じ無責任さが潜んでいる。やっぱりそれはちょっと危うい。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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