雑草化現象

雑草とは不思議なもので、名前がないのに名前がある。あるいは、名前がない状態に名前がついている。

実際「雑草」を構成する草たちには、名前(学名)はあるだろう。が、私たちはそれらを認識していない。名前を知らないし、また、個々の草としても認識していない。総体としての「雑草」として、言わば乱暴に認識している。

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この「名もなき家事」は、言わば雑草のようなものである。雑事という言い方もあるくらいだ。

行為としては存在している。しかし、外部者からみたとき、それは「在ってないようなもの」になる。重要性も認識されないし、そもそもそこに労力がかかることも考慮されない。

冷蔵庫の裏のほこり

認知のシステムとして、脳の省力化を進めるために、そのような大雑把なまとめ方が生まれるのであろう。どこかに移動するたびに、種類の違う草木一つひとつに注意を向けていたら、(日常は鮮やかになるかもしれないが)疲れることはたしかだ。すくなくとも認知資源は消費する。頭の中で今日の為替の心配をしている人にとっては、あまり振り分けたくない認知資源だろう。

私たちは、とるにたらないと感じるもの、繰り返されるもの、小さいなものを、「雑草化」してしまう。認識が非常に薄まるか、あるいはそもそも認識されなくなる。私はこれを「日常化」と呼んでいたが、おそらく雑草化の方が言いたいことが伝わるだろう。

雑草化は、認知エネルギーの省力化につながるのだが、反面細部を見落とすデメリットが存在する。だからこそ、「見える化」がその解決だとされるわけだ。ほとんどの行動を入力するタスクシュートでもそれは同様である。もし草木の一つひとつに「名札」がついていたら、さすがにそれを「雑草」と認識するのは難しくなるだろう。行動にもそれを当てはめるわけだ。

また、別の観点から言って、──『ファスト&スロー』を援用してもいい──人は、認知的に忙しいときほど、雑草化を進めてしまう傾向もありそうだ。

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体が病原菌と戦っているときに、食欲があまりわかないのと同じで(活動エネルギーの最適化が行われている)、心配なことがあったり過度の情報量にさらされているとき、私たちは世界から細部を見落とし、それらを乱暴にまとめようとしてしまう。これを情報化社会が進む方向を加味して考えると、私たちの認識する世界はどんどん雑草化してしまう、という言い方もできるかもしれない。人々を、出来事を、心理状況を、「雑草」として扱ってしまうわけだ。

そのような世界との対峙スタイルは、一体何を生むだろうか。あるいは、何も生まないだろうか。

以上のように、雑草化現象は、セルフマネジメントの視点と、情報化社会における人の在り方の視点の二つの平面において論じることができそうだ。

とりあえず前者に関しては、雑草化という現象を認識した上で、必要とあればそれをとりはずせる仕組みを持っておくとよいだろう。何かしらの「見える化」は有用な手段である。

とは言え、基本的に雑草化という省力化はある程度必要なものである。私たちが世界のそのままを認識してしまったら、脳はすぐにオーバーヒートしてしまうだろう。だからある程度は(アウトラインの項目のように)下部にまとめ折りたたんでしまうことが必要となる。

しかし、それと同時に、自分の認識は世界の一部を折りたたんだものでしかない、という認識を持っておくことも必要であろう。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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