できることは、できる。
できないことは、できない。
できる=能力
当たり前の話ですが、できることはできますし、できないことはできません。定義から言ってそうなります。「強く思えばできないことだって、できるようになる」というのはまったくの嘘で、単にそれはできることだっただけの話です。
とは言え、できることを増やすことはできます。そうやって人は自らの能力を拡げていくことができます。
でもそれは、なんでもかんでもできるようになることを意味したりはしません。人は生身で鳥のように飛ぶことはできませんし、同時に同じ種目で金メダルを取る人間が二人以上現れることもありません。人には常にできないことがあります。
ジョハリの「できる」
「ジョハリの窓」をご存じでしょうか。自己理解と他者理解の二軸でマトリックスを作り、「自己」というものを以下の四つに区分する考え方です。
- 「解放の窓」(自分も他人も知っている)
- 「秘密の窓」(自分だけが知っている)
- 「盲点の窓」(他人だけが知っている)
- 「未知の窓」(自分も他人も知らない)
この「自己」には、当然「能力」も含まれます。つまり、「できること」です。
- 自分も他人も知っている自分ができること
- 自分だけが知っている自分ができること
- 他人だけが知っている自分ができること
- 自分も他人も知らない自分ができること
ジョハリの窓を参照すれば、「できること」にも、この四つがあると考えられます。
よく「自分の限界は自分が決める」みたいな熱血漫画のセリフがありますが、ようするにそれは二番目までの認識に留まるのではなく、四番目の射程まで「自分ができること」の認識を伸ばせ、ということなのでしょう。
もちろん認識が能力に先行するはずもなく──できると思えば、12時間息を止められると考えるのはあまりに非現実的でしょう──、あくまで「自分ができると思っている以上のことが、自分にはできる(かもしれない)」という話でしかありません。
できないことは、できないのです。
リライト
冒頭を「当たり前」を書き換えましょう。
できることは、できる。
できないことは、できない。
できることを増やすことは、できる。
「できない」と思っていることの中には、できるものもある。
何のロマンもありませんね。つまりは、現実です。