書くときに流す音楽

inspired by 書くときに流す音楽 – 王様の耳はパンのミミ

書くときには、音楽を流しています。というか、耳が空いているときは、大抵何かを流しています。徒歩での移動中でも、車の移動中でも、家での読書中でも音楽を聴いています。それが私がオーディオブックを利用しない理由の一つでもあります。

今この文章だって、音楽を聴きながら書いています(now playing:「Starry Wish」by 水瀬いのり)。iTunesには約1時間のプレイリストがわんさかあり、そこから一つを選んで作業開始。音楽が途切れたところが、作業の一つの区切りとなります。タイマー&ミュージック。

実際、文章を書いているときは、あまり音楽を「聴いて」はいません。ただ、音を流しているだけです。むしろ、音を流すことで、それ以外の音を遮断している感覚でしょうか。だったら、ノイズキャンセリングでもいい気がしますが、やっぱり何かしらの音が鳴っていた方が、「今は作業しているんだ」というムードが高まりやすい気がします。きっと、儀式は音楽性に呼応するのでしょう。

そういう生活を長く続けていると、気がつくことがあります。たとえば、新曲を買い込み、それでプレイリストを作ったとしましょう。そのできたてほやほやのプレイリストはあまり作業のお伴には適しません。脳が言葉を追ってしまうからです。歌詞がない曲、あるいは洋楽なら大丈夫なのですが、邦楽だとついつい歌詞の意味を追いかけ、目の前の文章から注意が逸れます。よろしくありません。しかし、何度もそのプレイリストを流していると、状況が変わります。言葉は耳に入っているのですが、その意味を追いかけないようになるのです。そうして、音のカーテン(あるいはシャッター)は完成します。

だから、私はある程度の期間中ずっと、同じプレイリストを流し続けます。飽きるほどというほどではなくても、その音楽が耳に馴染み、そこにあっても注意を向けなくなるまで流し続けます。それは嫌な体験ではありません。苦痛な体験でもありません。むしろ非常に好ましく、快適で、嬉しい経験です。脳髄の奥にまで音楽が染みこむような感覚すらあります。

聴きながら、聞き流す。

それは無視しているのとは違います。知覚のパターンが、私の奥深くに埋め込まれているのです。それは音楽と共にある、ということです。そのことを──新品のプレイリストと対比することで──確認できる、ということでもあります。

ちなみに、作業のお伴にいろいろなものを流してきましたが、落語だけはどうしてもダメでした。慣れる慣れない以前に、まったく筆が進まなくなります。あの声とリズムの力は、相当なものですね。そのことも強く感じられます。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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