二つの質問

たとえば、世界ランキング10位くらいのすっごいテニスプレイヤーがそばにいるとして、その人に「どうやったら勝てますか?」と尋ねたとしたら、多分答えに困るんじゃないかと思います。相手によって有効な戦略は違うでしょうし、自分の技術やコンディションによって取り得る戦略の幅みたいなものも変わってきます。そもそもとして、彼自身がその答えを欲している点は否めません。得意なパターン、というのはあるにせよ、それだけで勝てるものではないからです。試合とはそういうものだと思います。

だったら質問を変えて、「どうやったら強くなれますか?」と尋ねたらどうでしょうか。たぶん、基礎的なトレーニングを重ねることの重要性や、うまい人の試合を見たり、記録をつけたりすることを勧めてくれるでしょう。たぶんそれらは、どこにでもありふれている「当たり前」の話になるでしょうが、皆が通過しているからこそ「当たり前」になっているわけで、避けて通ることはできません。だからといって、そのことが勝つことを確約するわけではないのです。だって、相手もその「当たり前」をやっているわけですから。

成果を上げるためには、一定の技術や能力が必要となります。しかし、それらがあれば必ず成果を上げられるわけではありません。十分条件ではないのです。なぜなら、成果とは相手がいたり、環境が関係したり、タイミングが影響したりして、自己の中で完結するものではないからです。だからこそ──ここが重要です──、成果には価値があるわけです。あるいはそうしたものが成果と呼ばれえます。「あなたは一万回素振りをしたので、今日からプロテニスプレイヤーです」というわけにはいきません。もちろん言葉遊びとしてそういう定義を持ち出すことはできるでしょうが、価値が宿るかどうかは難しいところです。

問題は、「どうやったら勝てますか?」に答えているように見せかけて、その実「どうやったら強くなれますか?」にしか答えていない状況です。必要条件は示しているが、十分条件は示せていない。にも関わらず、受け手の思考を「そうかこれをやれば勝てるのか」と誘導しているならば、それはひどい欺瞞でしょう。

本来必要なのは、基礎的な状態から一歩踏み出し、「どうやったら勝てるか?」を自らで模索し始めることです。そしてそれは、最前線の人たちが行っていることでもあります。むしろ、「どうやったら勝てるか?」の模索を自分で続けている人たちのことを「最前線の人たち」と呼ぶのかもしれません。その状態に至る道を閉ざすのは、他者を二流に留めておく暴挙と言えるでしょう。

必要なのは答えではありません。いや、正確に言えば、ある段階までは答えは必要で、ある段階以降は必要ではなくなります。そこで必要なのは問いを立てることと、その解に自ら取り組む姿勢です。そもそも、初めから答えを持っている人など誰もいないのが「最前線」という場所の特徴でしょう。だから、答えを他者から与えてもらえることなぞ望むべくもありません。

むろんこれは最前線の話であって、それ以外の場所では「答え」はバンバン転がっています。ただそれだけの話です。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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