Ulysses→Evernoteでの発見。そして、ノートを継ぐこと

先日、Ulyssesからの離脱について書いた際、データをEvernoteに移行した話に触れた。そのときに気がついたことがったので、今回はそれについて書く。

ノート移行の問題

さすがに1シートごとにエクスポートするのはダルかったので、グループのシート全体を選択してEvernoteへとエクスポート。それを全グループに対して行った。そうして作成されたノートは、当然のようにinboxに保存される。

次に待っているのは、それらのノートの振り分けだ。いかなる場所に、いかなる保存を行うのか。当然その問いは、それらのノートをいかに扱うのか、という問いにリンクしている。

Ulyssesからやってきたノートは、概して三種類あるように思われた。

一つ目はUlysses上で連載原稿を書いていたもの。たとえばメルマガの連載などだ。それはもう終了していて、「いつか機会があれば」電子書籍化されることになっている。プロジェクトを始めるほどでもないが、かといってアーカイブに放り込むのも躊躇われる。そういう原稿たちである。言ってみれば、Scrivenerにファイルを作るまでの待機場所として(野球で言えばベンチとして)、Ulyssesを使っていた。が、だからといってそれらの準・プロジェクトが何かしらの進捗を見せていたかというと、そんなことはない。ならいっそ、Scrivenerのファイルを作り、そこに放り込んでしまってもいいだろう。むしろその方が何かしら進みそうではないか。よし、これはOKだ。次。

二つ目は、「書こうと」思っていた小説のタイトル案。小説のタイトル案はやまほどEvernoteに保存されているが、そこから「書こうと」思っていたものをUlyssesに移していた。もちろん盛んに執筆が進んだ、という経験もない。これは7wrinerにピッタリなので、そこに移した。

三つ目が、少々厄介だ。表現は難しいが、あえて書けば、「ある種のテーマ性を帯びた文章の断片」となるだろうか。たとえば、情報社会について考えたことを書き留めた文章。あるいは、読書の方法と本の将来について考えたことを書き留めた文章。こうした文章は「断片的」である。それは、裏を返せば「全体的」でもある(※)、ということになる。
※この点についてここでは詳しく論じないが、強調して言えば「断片的」と「孤絶的」の違いに注目されるとよいだろう。

よって、それらの文章は一定の枠組みに置かれるのが望ましい。ではノートブックか。しかし、そうしたテーマごとにノートブックを作っていてはキリがなくなる。思いつくことはわんさかあるのだ。だったら、タグか。断片的なノート群にタグを添付していく。それなら、多重のテーマも許容できるし、ややこしい操作も必要なくなる。問題はタグの名前だ。断片的な文章が少し集まったくらいの段階では、そのタグに何と名前を与えていいのかわからない。

だったら、暫定的でもいいからタグに名前を与えればいいのではないか。その段階では、たしかにそれは機能するだろう。では、それ以降はどうだろうか。新しくノートを作った際、そのような暫定的な名前を、うまく思い出せるだろうか。かなり怪しい。だったら接頭辞で制御すれば? たとえばタグ名の頭に「○」を付けておけば、○を入力した段階でEvernoteが候補を示してくれる。そこから目視で探せば、暫定的な名前でもマッチング判定は可能だろう。

問題は二つある。一つは、候補を示す機能がないアプリでノートを作る場合はどうするのか、という点。これはまあ、作成したノートをinboxに放り込み、そのinbox処理をデスクトップクライアントで行えば済む話なのでここでは無視しよう。もう一つの問題は、時間が経てば経つほど、その「○〜〜」というタグの数が増えていくことである。なにせ私のアイデアノートにはすでに4000以上のノートがある。それらのテーマ性に合わせてタグを添付していったとしたら、どうなるのか? 私の脳組織が著しく破壊されない限り、Evernoteをあと5年も10年も使っていけば、必ずタグが溢れかえる事態が生じる。リストからタグを目視で探すことには、どこかで限界になるだろう。

だったら、どうする。

ノートだ。

ノートを文脈の温床地、テーマの孵化器とするのだ。

すでにUlyssesから移ってきたノートには、(グループごとに出力したから)いくつかの文章の断片が一つのノートにまとまっている。つまりそこには、文脈の萌芽がすでにあるわけだ。中には極端に方向性が異なる断片もあるが、それは剥離して別のノートに移せばいい。文脈の株分けだ。そして、新しく作成する断片たちをそれらのノートに取り込んでいく。

この場合、ノートのタイトルはなんだっていい。それらしいものを添付すれば十分だろう。なぜなら、別にタイトルを正確なキーワードにしてノートを探すわけではないからだ。何かしらのノートブックに入れ、そのノートにリマインドを設定する。それだけで、そのノートは常に上部に表示される。それはつまり、「場所」を持つ、ということだ。記憶の宮殿の始まりなのである。

人間の記憶とは不思議なもので、それを表すキーワードが正確に思い出せなくても、「これに関するノートは、リマインダリストの上の方にあったな」という場所についてはざっくりと思い出せる。でもって、それで目視による探索はだいたい機能する。

しかし、それだけでは足りない。「場所」を使ったやり方でも、ノートが増えすぎれば手に負えない。そこで、一つのルールが必要となる。

「できるだけ、ノートを継ぐようにすること」

完璧にマッチングしなくても、それっぽい関連性が少しでもあるならば、発生した断片はどこかしらのテーマノートへと取り込む。情報社会について考えているノートがあるとして、「Mediumの有料化は、ネットにどのような変化を与えるか」みたいなメディア論の断片が出てきたら、それを取り込んでしまう。認識の中で、ノートをリンクさせてしまう。こうすることで、テーマノートの拡散をできるだけ抑制する。数が増えすぎなければ、目視による探索も破綻しにくい。

それだけではない。結局のところ、断片は何処かに紐付けられなければ浮動し続けてしまう。それではなかなか育っていかないのだ。私は以前、断片を間違った場所に関連づけることに恐怖を覚えていた。が、それは杞憂である。少なくとも、完成品を作るまでの間は、断片はどこにあってもいい。というか、どこかの場所にあった方が、想起しやすいし、再会もしやすい。

私はここでモンテーニュの『エセー』や、アランのいくつかの本を思い出す。それらの本は、いったいどのように紡がれたのだろうか。きっと、彼らの思想が書き留められたノートがあったのだろう。そこには断片的な(しかしある種の共時性を持つ)文章が集まっていたのではないか。

だったら私は、Evernoteのノートを次々と「継いでいく」ことで、それに近しいことを実現しようでないか。

作成するときは小さな断片でいい。それをinbox処理の時に、どこかのノートに「貼り付ける」。幸いデジタルなので、複数のノートに貼り付けることも可能だ。それらは別に、アウトプットを生成するわけではないから、ちょっとくらい仲間はずれが混じっていてもぜんぜん構わない。情報が、思念が、着想がどこかに位置していることが大切なのだ。位置は文脈を醸成する。わかりきったことである。

実際的なことを言えば、コピペするときに、必ず過去の書き込みが目に入る点が大きい。ノートブックに放り込むのも、タグをつけるのもこれが起きない。意識の中で、リンクが、想起が、発生しない。一番の問題はそこにあるのだ。情報カードですら、ドッグに保存するときには直近のカードが目に入る。その効果を無であると断じるのは早計だろう。

ノートを継いでいくこと。これは、行動情報学的にも大きな意味がある。際限ない拡大を切断されたテーマノートへ断片をつぎはぎしていくことは、意識の中におけるテーマの有限化であり、前景化である。ふらふらとさまよい歩きがちな私にとって、必要な切断であろう。あるいはこのアプローチはEvernoteではなく7wrinerの方が向いているのかもしれない。そのあたりは実践を通してしかわからないが、しかし、試してみる価値はありそうだ。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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