情報管理ツール:7wrinerについて その2

前回:情報管理ツール:7wrinerについて その1

情報は脳内をたゆたう。

ある場所にあるかと思えば、すぐさま別の場所に移動してしまう。

情報は孤独ではいられない。

情報はつながりを持つ。つながりを欲する。

情報と関係

ツリー構造のもとでは、情報は、一つの場所に留め置かれる。Aの階層の上から二番目に位置すれば、それ以外の場所には位置しない。

そして、ツリー構造では、情報は、

・親
・子
・兄弟

の三つの関係性のみを持つ。たしかにこれは重要な関係性だ。しかし、ここでは「お隣さん」というものが決定的に欠落している。ついでに言えば、その関係性すら、直接のものは、上か下しかない。情報は、二つの情報に挟まれるに留まる。

基本の関係。

やや孤立を含む関係。

どちらにせよ、関係性は直接的なものに留まり、またその数も少ない。

だからこそ、これはアウトプットの生成に適している。情報の「意味」は文脈で定まる。文脈を固定するからこそ、(限りなくそれに近い)一意で情報を伝達できるのだ。話を「わかりやすく」するためには、必要な情報処理と言える。

しかし、私たちの脳内では情報はたゆたっている。「人間」という概念は、ホモサピエンスでもあり、社会的関係性を持つ生物でもあり、遊びを有する生命体でもあり、神の寵愛を受けた存在でもある。ロボットではない何か、ということもある。関係性大きく広がっている(だからこそ、アウトプットではそれを限定する必要がある)。

それだけではない。

近い関係・遠い関係

ある概念は、別の概念と薄い関係も持つ。「ラーメン」という概念は、ラーメンに関するさまざまな別の概念も想起させるが、その人の体験に応じた、(他者から観察したときには)まったく脈絡ない別の概念も想起させる。「ラーメン」と聞いて、「レッチリ」を想起するかもしれない。「高級椅子」を想起するかもしれない。「引っ越し」を想起するかもしれない。

何がどうつながっているのか、そもそも厳密な意味で「つながっているのか」すらわからないのだが、少なくとも私たちの脳内はそうなっている。

残念ながら、ツリー構造はこのような情報構造・形態をそのままputするには適さない(だからこそ、ツリー構造では時系列での記録が機能しやすい。少なくとも、混乱は生じにくくなる)。

7wriner

7wrinerでは、カードはラインに置かれる。ラインもツリーと同じように上下二つの項目に挟まれる。しかも、階層はないので、関係性は、一種類しかない……ように思われる。

しかし、明示された階層がないからこそ、言い換えれば、視覚的な情報の重み付けがないからこそ、隣接する項目は多義的な関係性をキープできる。言い換えれば、上下の項目の関係はどうであってもいいのだ。

カードにあるのは、情報の区切りだけである。そこにどのような意味を与えるかは使う人まかせであるし、ラインごとに違っていてすらよい。

さらに、7wrinerでは、メインラインの左右にもラインが表示される。基本的にうっすらとした表示なので、メインラインを見ているときには、それほど気にはならないし、注意も向かない。しかし、心がたゆたうとき、そうした情報が目に入ることがある。気になったら、そのままラインを移動させればいいし、そうでなければスルーすればいい。

つまり、揺れる心に対応している。一点に集中しすぎることがない。

もっと言えば、ある項目に関して次々にメモを取っていると、それとはあまり関係ない別の事柄についてメモが浮かぶこともある。そういう場合はとりあえずそのラインにメモしておいて、後からカードを移動させればいいし、あまりにもそれが高頻度で起きるなら、ラインを移動して、「お隣さん」にしておけばいい。

情報の塊同士の関係性をデザインできるわけだ。

見る・目に入る

もっと実用的な話であれば、「今日のタスクリスト」を表示させながら、左側にプロジェクトのタスクを、右側にその日の業務日誌を表示させることができる。

たった一画面で、それらすべてを表示させ、しかも表示に緩急をつけられるようなツールはあっただろうか。

あるものを見ているときに、別のものを見たくなる、という欲求を持つ人はいないのだろうか。少なくとも、私は見たい。見られるべきだとすら思っている。

二つの反旗

ようするに二つの事柄に反旗を翻したいのだ。

ツリー構造は、最終的なアウトプットを生み出すためには、言い換えれば、情報をどこかの位置におく(配列する)ためにはとんでもなく有用な構造である。少なくとも、現状のアウトプットはリニアな構造を持っているし、それに合わせて情報を構造化することは必須である。

一カ所に置くこと。一意に定めること。

しかし、そうした具体化・具現化のはるか手前の段階で、脳はいったい何をしているだろうか。脳はどのように情報を扱い、遊んでいるだろうか。それに適したツールがあってもいいだろう。これが一つ目の反旗だ。

もう一つは、一点型の集中に対する反旗だ。何かしらの作業をするときには、他のものが目に入らない方が集中できる。それは間違いない。しかし、「考えている」ときはどうだろうか。ぼんやり思考したり、複数の情報から何かを判断するときには、情報は広く表示される方がよい。そしてそれは、関連する情報と関連するかはわからない情報、つまりシグナルとノイズが良い塩梅で混ざっている方が望ましいだろう。

つまり、現状広く使われているツール群は、ある脳の動かし方に最適化はされているものの、別の脳の動かし方に適したものはあまり生まれていないのではないか、ということだ。

別に既存のツールを批判したいわけではない。野球で言えば、一塁と二塁の間を守っている内野手だけがポツンといないのではないかと危惧しているだけだ。

さいごに

脳内で情報は行ったり来たりする。ある場所に位置したものが、別の場所に位置し、それが連想の扉として機能する。

また情報は、自らの枠を固定的に持たない。それは拡張され、他を飲み込み、ときに大きく変容する。

そのような変容を前提としたツール。ツリー構造を持たないアウトライナー。

そういうものがあっても、よいだろう。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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