アイデア、問題解決、ライフハック その3

前回:アイデア、問題解決、ライフハック その2

アイデア、問題解決、ライフハック。この三つは、関係している。

たとえば、ライフハックとは、日常で直面する問題を解決するための小さなアイデア、と言えるだろう。

ここには二つの要素がある。「問題の認識」と「解決のテクニック」だ。

問題の認識

私たちは当たり前の世界に生きている。私たちは自分が生きる世界を「日常化」し、それを当たり前のものだと認識する。そこでは、たいていの不都合が、当たり前の中に埋没し、「問題」として認識されなくなる。

他者から提示されるライフハックは、その認識を揺さぶる。「ああ、これって、不都合なことだったんだ。変えていけるんだ」という光を差し込む。

だから、そこで提示される解決のテクニックが、自らの環境で使えなくても特に支障はない。「そこには、問題があるのだ」という認識が得られれば、一歩目を歩み出すことはできる。でもって、それこそがもっとも大切なことである。

解決のテクニック

解決のテクニックは、十人十色ではあるが、そこにはパターンがある。

入力を省略すること、機械の手を借りること、リストを作ること、可視化すること、operationalにすること……。

ライフハックは、「小さなアイデア」であるので、できることはそう多くはない。人類にとっての新しいエネルギー源を開発することはできないし、木星を開拓することも、一日を25時間にすることもできない。できることは、ちょっとした道具の使い方や、心の持ちようである。当然、そのバリエーションは限定的だ。実装は多様でも、フレームワークは限られている。

ライフハック情報にたくさん増えていると、「ああ、それね」という理解が増えてくる。脳内にパターンが構築されているわけだ。

こうなると人の助けはあまり必要でなくなる。問題に直面したときに、自らのパターンで処理できるようになってくる。これは、丸暗記した知識を記述するのとは違う。動的な知識の再編なのだ。

認識とパターンとアイデアの相互作用

さて、話をくるりと巻いてしまおう。

「問題の認識」と「解決のテクニック」は相互作用する。

「問題の認識」の引き出し(こちらもパターンである)が増えると、日常のさまざまなところに問題を見出せるようになる。ハック介入ポイントが目につくようになる。自然とそれは、新しい「解決のテクニック」を要請する。

アイデアは「既存の要素の、新しい組み合わせ」であるので、その要請は、既存のテクニックのアレンジによって(大半は)解決される。そして、また一つ「新しい解決」のテクニックが増える。

「解決のテクニック」が増えてくると、今度はそのテクニックを適用できる状況が「問題」として認識されるようになる。問題にめざとくなるわけだ。それが、問題認識の引き出しを増やし、こうしてポジティブ・フィードバック・サイクルがグルグルと回り始める。

after…

そんなサイクルがグルグル回り続けたら、どうなるか。

日常の「不都合」がさまざまに解決され、素晴らしい人生が待ち構えている……と言えるだろうか。心満ちた、不満のまったくない人生があなたを出迎えてくれるだろうか。

残念ながら、そんなことにはならない。もう一度言う。そんなことには決してならない。なぜか。

問題解決を繰り返し、それに卓越していくほど、「問題」が目につくようになってくる。基本的に、これにはキリがない。一つ潰せば、三つ新しいプチプチが増えてしまう気泡緩衝材のようなものである。ネバーエンディング・問題解決。

それだけではない。どちらにせよ、私たちは有限の存在である。手持ちの時間はあまりに限られている。どれだけハック介入ポイントを見つけようとも、そのすべてに関与するわけにはいかない。それは無理難題である。

つまり、問題解決者として生きていくということは、常に問題を影のように従えて生きていくことなのだ。

おわりに

全ての問題を解決することはできない。不満がなくなることもない。

これはテクニックの話ではない。心の在り様の問題である。生きる姿勢の問題である。

もちろんそれもまた「問題」であるのだから、解決の道のりは残されている。「気にしない」という解決が。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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