生煮えのスープとScrapbox

Scrapboxを使うようになって感じたことがあります。それは、生煮えのアイデアを出す場所が減っていたよな、という実感です。

私にとって、このブログは「完成品」を提出する場所です。つっこみどころはもちろんたくさんあるでしょうが、それでも自分の中では「ひとまとまりした」ものを出す場所でした。『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』で書いたように、ブログを書くことは「歌を歌うような」行為なのです。

ブログを10年続けて、僕が考えたこと
倉下忠憲 (2015-05-28)
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しかし、はじめからそうだったわけではありません。ブログを始めたころは、もっとラフなことを、ラフな形で書いてきたように思います。

しかし、少しずつ読んでくれる方が増え、不十分なものを提出するのが申し訳ない気分になり、傾向的に「完成品」を提出することが増え、むしろそれが標準になってしまった。そんな経緯があったように思います。

もちろんそれはそれで良いことなのでしょう。成長であるとすら言えそうです。

しかし、一方で、まだ固まり切っていないものを他の人に読んでもらう、という場が減ってしまった事実もあります。Twitterにも多少そのような面がありますが、文脈の分からない人にまで情報が回ってしまうリスク、機能的に書き直しができない、など不都合がないではありません。あまり積極的に投下したい場所ではないわけです。

結局、昔のある時期、私が持っていた生煮えのアイデアを放り投げる場所は、いつの間にか消え去っていました。で、そのことに気がついていませんでした。Scrapboxを使うまでは。

ブログはブログであり、EvernoteはEvernoteであり、その中間的な存在が欠落していることに無自覚だったのです。

やはり、相対化は大切です。「それ」だけでは見えなくなってしまうものが、「それ以外」に触れることによってはじめて見えてきます。

生煮えの具材であっても、受け取る側がそれを生煮えと了解しているのであれば、ぜんぜん問題ありません。でもって、みんながそんな生煮えの具材を持ち寄り、ぐつぐつと煮込んでいけば、いずれはきちんとしたスープができあがるかもしれません。

もちろん、ずっと生煮えのスープであり続ける可能性もありますが、それはそれで一つの可能態のスープではあるでしょう。

基本的に、私の仕事は、ひとりで進みます。ひとりで完結できてしまいます。

だからこそ、ひとり以外の場を自分で作っておくことは大切なのかもしれません。

そんなことを、共有のScrapboxを使いながら感じています。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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