まずざっと、思いついたことを、思いついたままに書き出していく。
単語でもいいし、フレーズでもいいし、一行でもいいし、文章でもいい。ちょっと関係なさそうなことでも、本筋から外れていそうなことでもいい。思い浮かんだ本のタイトルや、何かしらのイメージでもいい。
ともかく、思いついたことを、書き並べていく。
それが終れば、今度はそれを並び替える。「近しい」ものを並べていく。
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「近しい?」
「これが来たら、次はこれだな、という流れのことさ」
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つながりが重要だからこそ、つなげる力、つながる力が大切になってくる。
これまでは用意された場に「参加」すればよかった。つながりは自然と準備された。それで良かった。
今はそうはいかない。
この3行は、もともとバラバラの3枚のカードだった。その位置を近づけて1枚のカードにマージした。多少の補足は必要になるだろうが、少なくともこの3つは「流れ」ている。それでいい。
次に続くカードの、
つなぐことを目指す。つながることを目指す。
も、一応「流れ」には沿っている。「今はそうはいかない」→「だからこそ」→「つなぐことを目指す。つながることを目指す」。うん、悪くない。でも、まだ確信は持てない。「だからこそ」を書き込むほど、私の心は決まっていない。別の可能性の臭いも漂ってくる。だから、今はまだマージしない。
そして、並べ替えは続く。
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マージする、ということは、固める、ということだ。バラバラであったものを、一つに集合させる。
それによって、断片的可能性が失われる。無数に存在したはずの、組み合わせ数が急激に減少する。
でも、仕方がない。最終的に「本」は、すべての断片が一つにマージされたものなのだから。
どこかの時点で、マージは必要となってくる。
だから、これは決め打ちであり、仮組である。でも、それは「よし、これでいける」という微かな確信が裏書きしている決め打ちである。無作為でも、無目的でも、無鉄砲でもない。北極星は瞬いている。
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カードをマージするとどうなるか。
その1:バラバラに動かせなくなる
その2:ボーダーの範囲が変わる
前者は機能的、後者は視覚的な変化だ。そして、それが意味的な、あるいは私の脳内認知的な変化を引き起こす。
それが大切なのだ。テキストエディタに並べているだけでは、こうはいかない。
そしてこの「ボーダーの範囲が変わる」という機能を提供してくれるツールはあまりない。
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たとえば、WorkFlowyで似たことをやろうとすると、だいたい次のパターンとなる。
視覚的な情報として一番近いのは、三番目だろうか。しかし、意味のない見出し項目を立てる必要がある。その点がひっかかるし、本文の階層がずれているのも気にかかる。かといって二番目はあまりにも読みにくい。
私は単に、最初の三つの行を、これからしばらくは動かすことはありません、仮に固定的に扱いますよ、というのをビジュアル的に(そして機能的に)表現したいだけなのである。
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How to handle
項目 / 行 / 段落
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「本」というのは、執筆者にとって、もうどうしようも融通の利かないコンテンツである。だからこそ、読み手はそのコンテンツを「はじめから、終わりまで」読むことができる。有限性の恩恵。
僕たちは、「並べる、並び替える、くっつける」を繰り返して、もうどうしようも融通の利かないコンテンツを世に送り出す。幸いなのは、それが他の人にとっての断片の素材になることだ。そうして、再び「並べる、並び替える、くっつける」が始まる。別の人の頭の中で。
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