文章を読む。すると、あなたの頭の中には、何かしらの理解が生まれる。
問題は、それだけでは、つまりその理解が頭の中にあるだけでは、書き手が伝えたかったことと合致しているのかがわからない、ということだ。これは、文章だけの問題ではなく、会話などを含めたコミュニケーションという名の情報のやりとり全般で起こりうる。
とりあえず、そういうときは、「それって、こういうことですか」と尋ねてみればいい。「はいそうです」と答えが返ってくるかもしれないし、「いいえ違います」という答えが返ってくるかもしれないが、一つのフィードバックは得られる。
入れる→出す→入れる→出す→入れる→……
もし、それが何かしらの原理・原則・方法・法則に関する事柄ならば、〈例示は理解の試金石〉を使ってみる手もある。『数学ガール』に登場すると、素晴らしい箴言だ。
抽象的に示されたものを、一旦具体に落として考える。そこで、整合性があるのかを確認する。
もちろんここでは、バイアスが出てくる点に注意が必要となる。その原理・原則(エトセトラ)をあなた自身が信じたい、あるいは本当だと思っているときは、うまく整合性がある例を考えてしまう。良い成績を取って欲しい生徒が得意な問題に合わせて、試験を作るようなものだ。これはあまりよろしくない。
だから、いろいろ例示してみるとよい。
「〜〜〜すると、○○に良いんです」
と書かれてあったら、〜〜〜以外で、○○に良いことは存在しないだろうか、〜〜〜しないときの○○はどうなっているかだとか、〜〜したときの副作用なんかについても思いを巡らせてみる。
こうしていろいろ確かめる。
その後で、ポケットにしまう。なんなら、金庫に収納する。
いきなり入れてはいけない。
宝石と思っていたものが、石ころかもしれないからだ。
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頭の中にある理解は、いつだって誤解でありうる。
自分がわかったという感覚は、真実性とはあまり関係がない。
人によっては、真実性をメッキ貼りして情報提出してくることもある。
なんにせよ、確認が大切だ。
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