問いの増加と知識のネットワーク構造

問うことで、はじまる 読書猿Classic: between / beyond readers

知ることは、知識を増やすが、知と無知の境界も増やす。
しかし知識の増加に比べると、境界の増加は遅い。
球体をたとえに使うなら、体積(知識の量)が8倍(=2の3乗)増えるとき、表面積(知と無知の境界)は4倍(=2の2乗)しか増えない。

「知ることは、知識を増やすが、知と無知の境界も増やす」

そのとおりだろう。知れば知るほど、無知になる。よくあることだ。

しかし、次は本当だろうか。

「しかし知識の増加に比べると、境界の増加は遅い」 

どうにもしっくり頷けない。

島で比喩する

上記ブログでは球体を使っているが、もっと単純化し、かつイメージしやすいように島を思い浮かべよう。海の上に浮かぶ島。そこがあなたの「知の領土」だ。そして、海と接するところが、知と無知の境界線である。当然、島の面積が増えれば、その境界線も増える。知と無知の境界線は拡大する。自分が何を知っていないのかを知っているポイントが増える。

この比喩はわかりやすい。体感的に実感できる部分もある。でも、これだけで比喩は十分だろうか。むしろ、問い替えよう。知識とは島のようなものなのか。そして、知識の増加とは、島の面積の増加を意味するのだろうか。

知識のモデル

『学びとは何か』の中で、今井むつみは、「知識=事実」としそれをペタペタと貼り付けていくような学習(≒知識獲得)のモデルを「ドネルケバブ・モデル」と呼んで(おいしそうなネーミングだ)、そのようなモデルでは「生きた知識」は獲得されえないことを指摘している。その上で、以下のように述べる。

最も役に立つ「生きた知識」とは、知識の断片的な要素がぺたぺた塗り重ねられて膨張していくものではない。常にダイナミックに変動していくシステムなのである。このシステムは、要素が加わることによって絶え間なく編み直され、変化していく「生き物」のような存在なのだ。

その「システム」は、はたして島と呼べるだろうか。もし、そこで集められているのが「死んだ知識」であるならば、それを島と呼ぶことは可能だろう。しかし、ダイナミックに変動するシステムは、単なる島ではなく、変化する島である。形を変える島である。それだけではない。常にアップデートされる知識システムは、抜本的な変化の可能性すら内包している。

(前略)しかし、システムの土台となる知識が誤っていると、「コペルニクス的転換」が必要になる。土台から組み直さない限り、正しい方向に知識のシステムをつくることはできないのだ。

土台を組み直すとは、地殻変動が起こることを意味する。島の地形が根本から変わってしまうことが起きうるのだ。

島のメタファーを続ければ、その島は地形が動的に変化していて、ある部分が急に半島になったり、急に海に開いたりする。あるいは、ごくたまに大きな火山の噴火があって、地形が大きく変わってしまう。どちらにせよ、海と接する境界線の形が変わってしまう。

単純な増加や減少というよりも、接し方が変わってしまうことが起こりうるわけだ。

知識の多様さ

結局何が言いたいのかと言えば、「知識の増加」というのは一様ではない、ということだ。

人の中にある知識を、知識のネットワークとして捉えれば、そのネットワークにまったく関与しない知識(死んだ知識)の増加は、問いを増やすことはない。私が自分の携帯番号を暗記しても、それで問いが増えることはない。

また、既存のネットワークに大きな変化を与えない知識の増加は、多少問いを増やす。しかし、その量は微少だ。たとえば、3つの要素がリンクしているネットワークに新しく1つ要素が加わり、それぞれの要素とリンクを作れば、綺麗に知識は収まるが、かといって新しい接点はほとんどない。すでにリンクが強く形成されているからだ。ようするに「知っていることが、増えた」ということだ。だからこそ、最初に引用した記事が示すように、知識が増えても、それと同じくらいには問いは増えないわけである。

しかしながら、世の中にはネットワーク構造を大きく替えてしまうような知識の摂取がある。量子論的なものの見方だったり、行動経済学的な人間の捉え方だったり、直感に反する確率論だったり、その対象はさまざまだし、個人差もあろうが、そうした知識の受容は、知識のネットワーク構造を大きく変質させ、おどろくほどの量の問いを生み出していく。ネットワーク構造が変化してしまったことによって、リンク切れの要素が大量に発生してしまったわけだ。

しかし、そのようなパラダイムシフトはそう度々は起きない。子供のころならともかく、大人になって知識ネットワークが安定化していくると(あるいは、忙しさにかまけて世界へのドアを閉ざしていると)機会自体は減少していく。だから、平均を取れば、「知識の増加に比べると、境界の増加は遅い」なのは間違いない。

しかし、これだけは考えておきたい。知識が増えたからといって問いが必ずしも増えるわけではないし、ちょっと扱えないくらいの問いが飛び出してくるような知識もある。だからこそ、学ぶのは楽しいのだ。ランダム強化である。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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