〈べき〉の感覚と自律感とツール

原稿を書く@10:30というコンテクストをタスクリストにつけてみましょう – 作家のライフハック

ちなみにここでさっそく誤解が起こりますが、タスクシュートでこういうような表記があった時に意味するのは10時半ちょうどに原稿を書き出すという意味ではなくて、10時半ごろに書けたらいいな……という程度の意味です。

なんとなく、ここにひっかかった。書かれている内容に批判があるというのではない。タスクシュート、あるいはタスク管理にまつわる齟齬がこの点に起因しているのではないか、という予感が生じたのだ。

つまり、引用部分が指摘するように「10時半ちょうどに原稿を書き出す」こと、もっと言えば「10時半ちょうどに原稿を書き出すべき」という指示がツールから生じているような感覚があるのではないか。だとすれば、自由が阻害されている感覚、自律性が損なわれている感覚は強くなるだろうし、そこに拒絶感を覚えても仕方がない。

とは言え、この話はそんなに単純ではない。

タスクシュートにせよ、タスクリストにせよ、そこに記載されている事柄は、広く捉えれば〈すべきこと〉なのだ。「汝、これはすべきことか否か。是が非でも答えよ!」と虚無僧に迫られたら、「……すべきことです」と答えるしかない。

しかし、それは認知のフレームをズームインかズームアウトすれば一気に変わってしまう答えである。

会社に間に合うためには7時30分の電車に乗らなければいけないことが事実だとしても、駅前で朝からお酒を飲んでいるおっちゃんに、「遅刻してもええやんけ。地球が滅亡するわけでもなし」と言われて、それに納得してしまったら、急激に「7時30分の電車に乗るべき」が持つ〈べき感〉は薄れてしまうだろう。

これは別に、虚言でも戯れ言でも、ましてやレトリックでもない。単なる事実である。〈べき〉は、一つの価値体系に起因する審級であり、価値体系が変化してしまえば〈べき〉の生じ方も変化してしまう。だから〈べき〉の扱い方には注意が必要なのだ。

別に哲学的に込み入った話がしたいわけではない。私がやりたいのは、話を整理したいことだけだ。

タスクシュートに「「原稿を書く」@10:30」と記載されていたら、おそらくそこには何かしらの理由があるのだろう。少なくともそうすれば、少しでも良い結果が期待できると自分が思ったからこそ、そうしたコンテキストが付与されているのだろうし、その点は一般的なタスクリスト作りでも同じである。

自分の人生を破滅させるために、タスクリストに「夕食にカレーを作る」と記載する人はなかなかいない。それをすれば良いことが増える、あるいは悪いことが抑制できると思うからこそ、人はその行動を取ろうとする。

つまりそれは、広い意味での〈べき〉ことなのだ。

しかし、それらの行動が〈すべきこと〉というコンテキストを持つにしても、本当にそれを絶対にしなければならないわけではない。人の行動は極めて自由である(これも難しい問題を含む表現だが、ここでは簡単に捉えてもらえると嬉しい)。

10時30分に原稿に取りかかった方が良いことが増えるにせよ、それを実行しなければならないわけではないし、実行できるとも限らない。これは単純な真理であり、その真理はどのようなツールを使っていてもまったく変わらないはずである。

しかし、ツールの方に理由があるのか、ユーザーの方に理由があるのか、それともそれらの相互作用に理由があるのかはわからないが(私は相互作用を本命と見ている)、リストなりシュートなりに並んでいる項目が、あたかも「しなければならない」ものとして迫ってくるように感じられる場合がある。

もう一度言うが、それらは属性的には「しなければならない」ことではある。が、私がここで言いたいのはそういうタスクの属性についてではない。印象、もっと言えば心理的な圧迫感についての話だ。

このように感じられてしまうと、ツールに自分が操られている感覚が生じてしまい、そこから自律の感覚が消失していく。ストレスは溜まる一方である。

とは言え、これも簡単な話ではない。ツールがうまく使えているときというのは、まるでツールに従って自分が動いているような感覚がするものなのだ。しかし、そこには自己の関与の感覚が必ず生じているはずである。言い換えれば「自己」の中にそのツールが取り込まれ、一時的にそのツールに自分の行動を委ねているような感覚だ。当然そのような感覚においては、自律の感覚は損なわれないし、むしろそれは高まるかもしれない。

一見似ているようで、この二つは大きく違うし、その違いに気がつかないと手痛い目にあうこともあるだろう。

この話は、「目標」と「アウトライナー」とも関係している。

『「目標」の研究』でも示したが、目標は一度立てたらOKというものではない。むしろ随時確認し、アップデートしていく類のものである。でなければ、最初立てた「目標」に人生を縛られてしまうことが起こりうる。それはようするに、自律性(あるいは自律の感覚)が消失する、ということだ。

「目標」の研究
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また、アウトライナーを使った執筆法(あるいは広義の思考法)として「シェイク」というものがあるが、これはトップダウンとボトムアップの〈行ったり来たり〉であり、まさに『「目標」の研究』で示した目標の扱い方と呼応する手法である。

上記の二例では、直接「自律」の話は出てこないが、当初の〈べき〉に縛られない点ではタスクシュートやタスクリストの話と軸を同じくすることは間違いない。

本稿の要点は二つある。

・自律の感覚と〈べき〉の扱い方の重要性
・ツールが与える印象

前者はセルフマネジメント全般において課題になってくるだろうし、後者は後者でやっかいな問題を含む。

たとえば、アウトライナーは「変化」(変形)のためのツールという印象を持っている人もいるだろうし、「固定」のためのツールという印象を持っている人もいるだろう。実体は前者に近いのだが、あまり触っていないと後者に寄りがちだ。かといって、ツールを使えば自然と前者に寄っていくというわけでもないのが、難しい点である。それはタスクシュートやタスクリストに関しても同じことが言えるだろう。

以上のような話は、「たかだかツールの話」とか「たかだかタスク管理の話」ではない。私たちが自己をどのように扱い、どのように接するのかについての大きな話で、それはつまり「いかに生きるか」に関わってくる問題でもある。

おおげさすぎる?

そんなことはない。なぜなら、人生は「何をしたのか」と「何をしなかったのか」と「それをどのように感じたのか」で作られていくのだから。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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