ノート術とキツネの言葉 | ≪差異とイテレーション≫ | 2

差異とは差分である。

類似性が皆無なところに、差は存在しない。差だとは認識されない。

あることを何度も繰り返し行う。集中的にトレーニングする。徹底的に使い込む。

すると、余白が生まれる。工夫する余地が生まれる。

守破離もつまりはそういうことだ。

ノート術について考えてみよう。

何かしらのノートを術を学ぶ。そして、実際にそれをやってみる。繰り返し実践してみる。合わないところもあるだろうし、不都合なところもあるだろう。それでも、まずは愚直に試してみる。

そのノウハウが、一体何を問題視し、どのように解決しようとしているのかを体感する。それが、本当のところで腑に落ちたら、前に進める。自分なりの工夫が出てくる。

最終的にそのノート術を一切使わないようになったとしても、たぶん自分の中には何かが残るだろう。それがつまり、「腑に落ちる」ということなのだから。

最初の段階は、どんなものでも面白い。取り組んでみる気になる。

そして実際にやってみるが、いくつか階段を登った段階で、興味と関心が急激に薄れてくる。

すると、新しいノウハウが気になってくる。そしてそれに飛びつく。

知識は増えるだろう。ノウハウについての知識。ノウ・ノウハウ。それらは、断片的ですらなく、断絶的である。どこにもつながっていない。

深い根まで掘り下げていけば、それぞれのノウハウに共通するものが何か見つかるはずである。単に共通的な要素、というのではない。簡単な言葉を使えば、「本質的な要素」ということだ。扉の奥にある言葉。それを掘り出すことができる。

でも、それには時間もかかるし、途中は楽しさも欠落している。そういう期間がきっと存在する。

だから、誰でも扉の奥に手を伸ばせるわけではない。そこでは、その人に刻まれた鍵が必要になってくる。抽象的な物言いで申し訳ないが、そう表現するしかない。

誰でもが、どんな扉でも開けられるわけではない。その人には、その人が開けられる扉がある。潜り込める根がある。それを探究と呼ぶこともできるし、自己実現と呼ぶこともできる。私は人生と呼ぶことにしたい。

螺旋階段をグルグルと昇ることと、新しい階段を何度も昇り直すこと。

どちらも似ている部分はある。でも、違いもある。

「一見同じに見えることを繰り返す」
「一見違うことに見えることを繰り返す」

キツネが言ったように、大切なことは目に見えないのかもしれない。

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