ブログとダンジョンの地図 | ≪差異とイテレーション≫ | 3

ずっとブログを続けている。ずっとこのR-style(とコンビニBlog)というブログを続けている。

毎日毎日更新を続けている。2004年から数えて14年。毎日更新をし始めるようになってからでも、たぶん8年くらいは経過したと思う。

その間いろいろなことがあった。ほんとうにいろいろなことがあった。

プライベートでも、世間の流れでも、自分の仕事でも、いろいろなことがあった。簡単に言えば、変化があった。

それでも、毎日毎日ブログを更新し続けている。世間の潮流なんてどこ吹く風でこのブログを続けている。これはもう真面目さなどではなく、むしろ愚直さ、あるいは狂気に近いものだろう。ここまでやるのはちょっと変なのだ。普通はもっと気楽に付き合うし。その方が良いと思う。

それでも、一つの歴史として、一つの事実として、私がブログを続けてきたことは間違いない。

そして、このR-styleというブログは、基本的には変化をしてこなかった。大きなデザイン変更をしたのは一度だけで、それ以外はずっと同じようなstyleで続けている。

でも、歴史を通してみれば、つまり、これまでアップしてきた記事を年表の上に並べて閲覧すれば、そこには変化が見て取れるだろう。しかもその変化は、吐息のように微かなものではない。むしろいびきのようにはっきりと目立つものだ。

取り扱うテーマ、テーマの切り方、文体や言葉遣い。

長いスパンでみれば、それははっきりと変わっている。逆に言えば、短いスパンで言えば、ほとんど何も変わっていないように見える。

長期と短期。

変化と適応。

意図的な変化は、状況に適応する目的を持つ。

しかし、状況評価のシステムがあまりにも短期的だと、過剰な最適化(オーバーフィッティング)が発生する。そして、大切なものが置き去りにされていく。

変化の完全なる拒絶は、単なる頑固さであろう。かといって、1秒前に言ったことなど知らぬと意見をひっくり返すのもやり過ぎだ。適度な時間軸と、適度な変化。その綱引きが欲しい。

時間を掛けた、少しずつの変化。

それは、大部分が変化せず、僅かな部分だけ変化することを意味する。差異の出現。

変化は冒険だ。まだ見ぬ地に旅立たなければならない。そして、旅には地図が必要だ。

真っ白な紙があり、目の前には現実がある。自分で行動を起こして、その地図に書き込む。ごく小さい部分ではあるが、その領域の地図ができたことになる。その領域内であれば、比較的安全に移動ができる。

そして、少し冒険する。また少しだけ地図が広がる。安全な領域と、そうでない領域の〈行き来〉。そうやって領域を広げていく。

常に冒険では辛すぎる。常に安全圏では退屈すぎる。

行ったり来たりして、地図を広げる。それが楽しいのだ。

ダンジョンRPGと現実との違いは、現実は変化するということだ。書き込んだ地図が、ずっとずっと当てになるとは限らない。

ときには大きく地形が変化したり、落盤して通れなくなるようなことも起こりうる。

それでも、地図がまったくないよりは、あった方がマシだろう。地図を現実と取り間違えなければ、問題は少ない。

それに、地形が変化しても、役に立つ知見は残る。たとえば、「氷の床は滑る」という情報は、仮に地形が変わっても、次に氷の床に遭遇したときに役立つに違いない。それに、炎の床を見たときに何かしらの連想が閃くかもしれない。それはそれで冒険に役立つこともあるだろう。

私はこれまで20年ぐらい本を読む生活を送ってきた。おそらくこれから5年、10年も同じような生活を送るだろう。

この20年間にはいろいろあった。電子機器とツールと新しいメディアが跋扈した。でも、私はあいかわらず本を読んでいる。楽しんで読書にいそしんでいる。

「変わるものは何か?」という視点は大切だろう。変化は避けて通れないのだから。でも、それは目立つ差異に注意を向けるということでもある。だから、「変わらないものは何か? 変わっていないものは何か?」という視点も大切にしたい。

それは、長期における差異に注意を向けることにつながるだろうから。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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