不可視の一瞥 | ≪差異とイテレーション≫ | 4

Il est très simple: on ne voit bien qu’avec le cœur. L’essentiel est invisible pour les yeux.

「大切なものは、目には見えないんだよ」とキツネは言った。

では、目に見ないものには、どんなものがあるだろうか。

  • 能力的不可視
  • 概念的不可視
  • 認知的不可視

能力的不可視

存在はしているが、人間能力では見ることが叶わない。紫外線しかり、酸素分子しかり。あるいは、「全宇宙」みたいなものも、有限の寿命では閲覧は不可能だろう。これも能力的不可視と言えるかもしれない。

概念的不可視

愛は見えない。愛の結果として生まれる行為自体は目に見えるが、愛そのものは見ることが叶わない。その他、実体を伴わない純粋概念はすべて目には見えない。

では、それらは存在しないのか(あるいは実存性が皆無なのか)と言うと、これはなかなか難しい問題である。

認知的不可視

バスケットボールの試合のビデオを、「白いチームが何回パスしたか数えてください」という指示を受けて見ていると、ゴリラが通り過ぎても気がつかないことがある。画面には映っているし、網膜には映り込んでいるだろうが、私たちにはそれが見えない。

そのような不可視は日常に溢れかえっている。

私たちは、渋谷駅前を歩く人々を「見て」はいない。一人ひとりを固有の人間だと思って認知的処理はしていない。雑草は、名前のない草としてひとかたまりで処理されているし、メガネをかけながら、メガネを探しているときには、メガネが見えていない。

私の汚い手書きの「あ」という文字と、キーボードでうちこんだヒラギノ角ゴの「あ」という文字が同じ「あ」だと認識されている時点で、それぞれの文字の「個性」は認識からは除外されている。脳内に浮かぶのは、パターン処理された(プラトンならイデアと呼ぶであろう)「あ」だけだ。

固着する日常

大切なことは、目に見えない。これは、「目に見ないことは、すべて大切である」という意味ではないだろう。むしろ、世界についてジャッジメントを下すとき、自分の目に見えるものだけに頼ってはいけない、という警句として受け取った方がいい。いつだって、自分の目に見えていないものは存在しているのだ。

特に、認知的不可視についての理解は大切だろう。能力的不可視は科学者が、概念的不可視は哲学者が援助してくれるが、認知的不可視はそういうものがあまりない。ゴリラは、悠々自適に私たちの目の前を通り過ぎていく。ブラックスワンは予想できない。

日常が繰り返されると、私たちはそこに差異を感じなくなる。日常がパターン化していく。雑草化現象だ。

家に帰ったとき、台所が片付いていることに何の感慨も湧かなくなる。それが当たり前のように感じられ、そもそも注意がそこに向けられることもない。仕事をして給料がもらえたり、毎週ゴミ収集車が来てくれたり、SNSで気楽に遠方の友人とやりとりできることが、世界にあらかじめ備わった仕組みと機能のように思えてしまう。

もちろん、それは必要なことなのだろう。物事すべてに感嘆していたら、疲れすぎて日常が送れない。私たちの脳は、できるだけ少ないエネルギーで生活できるように、出来事を雑草化し、「日常」を形成していく。同じ日なんて一日もないのに、というかむしろ同じ日が一日もないからこそ、それらすべてを記憶するというエネルギーの非効率運用は避けているのだ。「あ」という文字。パターンと極端な差分。それだけでいっぱいいっぱいなのである。

私たちという人間は、日常を見逃すようにできている。そういう宿命を背負っている。そこにある儚さや尊さに気がつかない傾向が備わっている。だからこそ、キツネの警句はいつだって重要なのだ。

その点から見れば、フィルターバブルに代表される「閉じること」の危うさも見えてくる。同じところに留まり続けると、私たちはどんどんものが見えなくなっていく。最後には「あ」と「お」も同じ文字だと思うようになるだろう。これはジョークでもなんでもない。それらが同じものなのか違うものなのかは、認知の上でしか成立しない話なのだ。その境界線は、我々が考えるほどはっきりとはしていない。

だからこそ、開くことが大切だ。開いておくことが重要だ。

揺さぶること。交えること。交わること。

固まりつつある「日常」をぐらぐらと揺らし、新しい視野を開くこと。ゴリラに気がつくこと。そういうことが、たまに──頻繁に起こらなくてもいい──起こるだけで、世界の色合いは変わってくる。

キツネはその前にこう言っている。「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない」

目で見るためには、まぶたを開いて外部の光を取り込まなければいけない。

心で見るときだって、同じだろう。

その不可視の一瞥が、墓地を豊かにしていくのである。

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